中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

弁当も時代の移り変わり

  インスタグラムで「#弁当」と検索すると800万点近い画像がヒットするらしい。
創意工夫を詰めた弁当は日本独自のカルチャーだと言ってもよいが、子どもに
たせる弁当の場合、それが親の愛情の表れなのかどうか。
  ふたを開けると美しく飾られたお弁当。食べるのがもったいないような丁寧
な飾りつけ。 親たちが競うように作る。 子供たちは弁当のふたを開けるのが
楽しみだろうな・・と思う。
 しかし、暇な親ばかりとは限らない。 生活に追われて忙しすぎる日々を送って
いる親たちも多い。 生活が豊かで、母親に時間のゆとりがあるという人は決して
多くはないはずだ。 それでも、子供が幼稚園で差別されないように、惨めな思い
をしないように・・・と、早起きして出勤前に作っている母親たちもいるのだ。
  私の場合は・・昔の話過ぎて、参考にもならないが、それでもみんな弁当を
持って登校していた。 弁当箱は大抵はアルマイト製の弁当箱かヤナギコオリ
弁当箱(箱と言うより編んだ籠のよう)だった。
 ほとんど毎日「日の丸弁当」(ご飯の上に梅干が一個のせてあるだけ)
を持って行っていた。 今なら・せめて鰹節にしょうゆをかけたものも入れてくれ
ただろうにと思う。 アルマイトのふたは梅干に腐食し穴が空いてくる。
 それでも2歳年上の叔母が通学していた頃はよかったが、叔母が卒業して行っ
てからは、弁当のない日もあった。 家に食べに帰るといって学校を離れて時間を
過ごしたことが多々ある。
 可哀そうな子供と思うでしょうが、だからこそ私は強くなった。 両親が居なくても
保証人になってくれる人が居なくても、より強くなって生きてきた。日陰には決して
行くことなく、広い道の真ん中を太陽を浴びて生きてきた。
  きれいに飾られた弁当を毎日食べている子供たちの将来はどうなるのか知ら
ないが、一人でも生きて行ける精神力は育たないだろうとおもう。
  過保護のやりすぎは決して子供にとって良いことになるとは限らない。