嬉しくなった。
寂聴さんが、まだ晴美と名乗っていたころから、彼女の小説の
フアンだった。
エロチズムを前面に押し出して男女の愛憎を描いていたものだった。
下手な作家がエロを書くと露骨で下品なものになるが、彼女の作品には
上品なエロが漂っていた。
腰椎の圧迫骨折後、「こんなに痛いのなら死んだほうがマシ」と漏らして
いたことがあった。同じ思いをした私にとっては、その一言も励みだった。
93歳とは思えぬ、元気な様子を画面で見て、恐れ入りました、という思いである。
原稿用紙に向かって原稿を書く姿もただ者じゃない。
寂聴さんは、「これまで法話でえらそうに皆さんに語ってきたが、今回の病気の
経験から、私は何も知らなかったのだと思い知らされた」と言う趣旨のことを
おっしゃっていた。
何歳になろうとも、どんな経験をしようとも、まだまだ知らないことが多いのが
私たちの人生でもある。
寂聴さんのように、病気を乗り越えられる人もいれば、どうあがこうとも、乗り切れ
られない人もいる。寂聴さんは93歳になっても、記憶力がはっきりしているが、
高齢になると固有名詞だけがどんどん消えていく人もいる。わたしもその一人だ。
人は、一人ずつ全く違うものなのだ。自分の経験だけでは「絶対」などという
判断などあろうはずがない。
一人一人が、それぞれの人生を精いっぱい生きる。それしかない。
50歳や60歳の人に、75歳以降の坂を転がっていくような厳しい体調を
語ってみたところで、理解できないだろうし、想像だにできないだろうと思う。
そういうことも、だれもがそういう年齢になって、そういう病気になって、
そういう痛さを経験し、そういう苦しみを経験して、あ・・・こういうことだった
のか、と やっとわかるものだとおもう。
だから、高齢の親の介護をしている娘や息子がいるとすれば、それは、まことに
すごいことだといわねばならない。
寂聴さんを救ったのは、仏でもなんでもなく、寂聴さんの生への執念と、支える
人たちがいたからだと、私は思う。