中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

哲学を持った生き方とは?

 話の合間に「哲学をもたないと」とか「哲学的だね」とかという言葉が
出てくる。しかし、哲学を持つとはどういうことなのか、哲学的とはどんな
ことなのか、分かって言っている人と、わからなくて言っている人がいるような
気がしている。
 哲学を勉強していると「哲学的」になれるのかというとそうではないらしい。
哲学者が立派な人たちだとは、決して言えないからだ。哲学のための哲学者
だって多い。
 こんな譬えがある。ある哲学者が2階へ上がり、梯子を外して閉じこもって
哲学の勉強をしている。この学者の学んだ哲学は役に立つのだろうか、という
疑問である。
 哲学を難しく言うことは、かえってやさしい。どんな物事でも難しく言うことは、
やさしく説明するだけの能力を持たないからだと、私は思っている。
分かりやすい言葉で述べることこそ、何よりも難しいのだということを、学者
などは分からない人が多いらしい。
 難しい言葉で話すと偉いように思っている人もいるし、難しい言葉を操ることを
得意とする人たちもいる。哲学的などという言葉の背景には、そんな思い込みも
あるようだ。
 しかし、2階へ上がって、梯子を外しているようなタイプの人たちというのは、
世間に疎く、社会の役に立ちそうにない。
 これは、すべての分野の研究者に言えることだが、本物の研究者は社会の
ことにも精通している。ある分野の、ある部分しか知らないような研究者は
2階へ上がって哲学研究をしている学者と変わらない。
 人生における哲学とは、実社会の中で、悩み苦しむ中でこそ生まれてくる
ものだと、私は思っている。「どう生きるべきか」を実社会の中にあって考える
ことが哲学でもある。どんな問題でもよい、とことん苦しみ考え抜く中で、確固
たる信念が生まれてくれば、その人の哲学ではないだろうか。
 頭で考えて分かるよなものは、とても哲学だとは思えない。2階へ上がって
はしごを外して考えるのではなくて、実社会の中で、思い切り悩み、深く考え、
苦しむ中でこそ哲学は生まれるものだと思っている。
 深く考えるという習慣を持たない人たちには、一生哲学とは縁がないでしょう。