中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「学ぶ」「読む」「経験する」を考える(1)

 今日から「学ぶ」「読む」「経験する」を、気の向くままに
書いて連載する。
それぞれの項目を順序立てて書くと言うのではなく、思いつく
ままに、気の向くままに書くので、起承転結のような文章には
ならないことを、初めにご承知おきいただきたい。
 何回まで続けるか予想もつかないが、多分20回~30回ぐらい
まで書き進めるかもしれないし、10回で終わってしまうかもし
れない。また、これは専門的なことを書くのではなく、私の独
断と偏見で書くので、読み手によっては「それは違う」と感じる
人もあり、「そうだ」と思って下さる人もあろう。読み手の生き
越し方によって大きく感想が異なるだろうと思っている。
 
 さて、まずは「学ぶ」から。
 学ぶと言えば何を連想するのだろうか。学校と思う人もいれば
幼稚園と言う人もいるだろう。本当は生まれて間もなく学び始め
るのだと思う。親が意識的に子供に何かを教える時期も、人に
よって違う。意識の高い母親と低い母親とでは、子供への向き合
い方が異なるからだ。幼児は、教えられると言うよりも、自ら
「学び」を始める。幼児期の自ら学ぶという姿勢を人はどこまで
継続できるのだろうか。
 人が、自ら学ぶと言う姿勢をなくす場合があるのは、なぜなの
だろうか。それは、他によって学ぶことを強制されることから、
「自ら学ぶ姿勢」を失うのではないだろうかとおもう。反面
「強制しなければ学びなど出来ないのでは」という意見もある
に違いない。
強制された学びと、自然発生的に自ら学ぶことの違いは何なの
だろうか。