中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

考えること、思っていることで頭の中がいっぱい・世の中にはすごい人がいる

この記事は少し長くなるかも知れません。③ぐらいまでになりそうです。

最近考えたり、思っていることなどを書こうとしているからです。

まもなく86歳になろうとしている人間が、なにを考えているのだろうと

言うことを知っていただくきっかけになるかも知れません。だからといって、

特段に難しいことを書こうとは思っていません。 わたしもこの歳だから

感じることなのかもしれないと思いつつ書くことになるでしょうから。

 私が司馬遼太郎さんの大フアンであることはこれまでに何度も書きました。

司馬さんは昭和の終わりころに、小説家としても平成に残したい作家として

政治、経済、文化人の各分野からトップに選ばれたかたでもあります。

小説以外にもエッセイ、対談など幅広い文章を残しておられます。

 小説だけでなく、エッセイなども、人それぞれに「文体」というのがあって、

読む人との好き嫌いなどで相性が悪いという場合もあって、どんなな素晴

らしいとほめても、読む気にならないという読者もいることでしょう。

 書き手の能力と読み手の能力が格段に違う場合には、読み手は腰が

引けてしまって、読み進むことさえできないということもあるかとは思います。

 書かれているものを読んで、脳裏にその有様が手に取るように描かれる

ようならば、書き手と読み手の意志疎通がばっちりだろも言えます。一向に

映像が脳裏に現われないようならば、書き手と読み手の相性が悪いという

べきでしょうし、読み手の日本語能力や感性が低すぎるのかもしれません。

   さて、タイトルに書いた話に戻りましょう。

 何十年間と本を読まなかった日がなかったといってよいほどの活字病の

私ですが、活字なら何でもよいというのではなく、やはり司馬さんの著作が

断トツに多く、ついて30人ほどの著作に偏ってしまいます。推理小説などは

30歳を超えてからはほとんど読まなくなりました。卒業したといっていいでしょう。

 ここ5年間で一番たくさん読んだのは村上春樹さんの作品でした。まだ知らない

著作もあるのでしょうが、たぶん・・村上さんの著作の90%は読んでいるはずです。

 芥川賞とか直木賞作品も読みますが、近年は感動するような作品に出会って

いないのも、書き手の人生経験が浅いからだろうと思ったりしています。

 司馬さんの作品は、どれも最低2回は読んでいますが、多い場合は7回8回も

読んでいるようにおもいます。

 最近になって、「街道をゆく」シリーズ38の「オホーツク街道」を読み直してみました。

司馬さんが亡くなったあと、司馬さん担当だった編集者たちの懇談会の中で・・・

「司馬さんは街道をゆくオホーツク街道の時は、すごく気合が入っていましたよね」

という一文があったので、読み返してみようと思ったのでした。オホーツク街道は、

1度しか読んでいなかったのです。最低でも2度は読んでいると思っていましたが、

どうしてなのか・・わずかに一度だけ読んだだけでした。  そして読み返すうちに

内容に圧倒され・・読み終わるまでに2週間もかかってしまいましたが、読み終わった

あと、二日間はなにも読む気がしないほどに呆然としていました。

 最近ブログを書く回数が少なくなっていたのも、この本を読んでいたからでもあります。

司馬さんの常人を超えた凄い知識量には、いつも驚かされますが、オホーツク街道

場合は、そういうことではなくて、そこに書かれている名もない人たちのお話に圧倒

されたのでした。続く・・・・・。