中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(27)

原発事故が気になって、どうもこの原稿を書くのに気が進まない。
しかし、楽しみにしているよ、と言って下さる方がいるからやはり書こうか。
 
21歳当時の私。
今から55年も前の私。そんなにおじいさんだったの?と言われそう。
そう、紛れもなくおじいさんです。
私の年齢でパソコンをやっている人は少ない。だから、ブログを書いていても
こんなお爺さんだとは思わないで読んで下さる方が多いようだ。
 
ワープロは、普及が始まったころからやっている。
私が作った高校に50台以上ものPCを導入して、いち早くPC教育を取り入れたので、
PCには早くから興味を持っていたと言うことである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さて本論・・・・・・・・・
個人のクリーニング店で働き、少なくとも3年以上はかかると言われる、
「洗い場」「白物アイロン」「蒸気アイロン」「外回り」の仕事を1年間身に付けた。
しかし、1年は1年であって給料は1年として支払われる。
神学校中退後、働いていなかったこともあり、私にはまったく金がなかった。
身の回りのものさえ買えないほど貧しかった。住み込み店員の1年生の月給など
たかが知れていた。
 
もっと稼がないと不自由で仕方がない。少し勇気がいったが他の店に変わることを
決心した。そして西区のクリーニング店から旭区のクリーニング店へと働き場所を
替えたのだ。そこでは「経験3年」と言って雇ってもらった。3年の経験だと言った以上は、
それだけの働きをしないとばれてしまう。それがどれほど大変なことか分かるだろうか。
一応、専門職であるから、ごまかしのきかないものだ。仕事内容がすべてである。
年齢的には経験3年といっても不思議には思わないだろうが、仕事をすればばれてしまう
可能性大である。
 
必死のパッチと言う言葉があるが、それこそ必死のパッチだった。
前の店でもそうだったが、技術を身につけるためには、練習しかない。そのためには、
人が休んでいる間に仕事をする以外に道はない。本を読めばわかると言ったものではない。
あらゆる仕事をやって、身につけていくだけだ。
ここで、いったい何が難しいかを書いておこう。
 
洗い場の場合。カッターシャツなどは釜に入れて煮てから 洗剤を付けたササラで襟や
カウスなどを洗ってから、ワッシャーに入れて洗う。ここでは、いかに手早くササラを使えるか
だけである。しかし、注意しなければならない点はいくつもあって、容易ではない。
問題は、ブラウス類である。この扱いには充分な配慮が必要になる。それに、白物の場合、
シミ抜き技術がどこまでやれるかが問われる。
 
ウールや化繊のズボンや背広、コートなどはドライに外注に出すから、店では洗わない。
しかし、アイロンとなるとこれら「黒もの」の扱いは難しい。
まず、素材を見分けるのが難しい。素材が分からなければ事故につながるからだ。
どのようにアイロンを掛けるかという技術と共に、素材の見分け方まで習得しなければ
ならない。
当時は、着物も扱っていたので、着物の見分け方まで習得しなければならなかった。
1年を3年と簡単に言えるほど単純なものでないことが分かるだろうか。
この辺りから、私はいつも、どんな場合にも「できるか」と問わてると、必ず「できます」と
答えるようになって行った。