中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

新聞社・取材と記事との違いを考える

 私はこれまで、新聞社・雑誌・TVなど多くの取材を受けてきました。
豪州・パースに移住してからは、毎年沢山の取材を受けたものです。

 多くの取材を受けた経験からいいますと、これまで一度も正確に書いてくれたことは
ありません。
 移住しても年金だけでは暮らせませんと、どんなに説明しても、
「10万円もあれば優雅な生活」
などと言う記事になってしまいます。
 そんな経験が積み重なって「正確に書いていただけないのなら、取材に応じません」と
いうと、必ずきちんと書かせていただきますといいますが、また同じ結果となるのです。

 その理由はデスクにもあります。
記者がどんなに正確に書いても、デスクは、「これじゃ面白くない」と考えて変えてしまう
ことが多いらしい。
その新聞や雑誌が有名であろうとなかろうと、この傾向にあまり変わりがありません。
読者を馬鹿にしているとしか言いようがないのですが、読者が馬鹿だからこういうことに
なるのかもしれません。

 今日もある新聞に私のことが掲載されました。
充分な時間をかけて、熱心に詳しくお話ししたつもりでいます。担当の記者は賢明な
感じの方でした。
でも・・・今回も記事には失望しました。又かと・・いう思いです。
記者が、先入観を持って取材しているからなのか、デスクが変えるのか分かりません。

これまでにも懲りているのに、私のどこかに新聞社や記者を信頼してしまうものが
あるようです。というよりは、多くの読者に「がん」のことを正しく知ってほしいと
願うからでもあります。
記事の内容が、取材したものと違っていても、間違いであっても、読者と言うものは、
書かれていることがすべてだと受け止めて読んでしまいます。

取材した相手に確認の上で掲載しているものと思っている人が多いのではないでしょうか。
最近の取材では、読売新聞の記者が、私と何度もメールで記事内容を書き直し合ったうえで
掲載してくださったことがありました。これなら納得できますよね。
これなどは珍しい経験でした。

高齢化が進み、ネットで読む時代がすでに来ています。
新聞は、もっと人間くさく、時間をかけ、足で稼いだ取材内容をどう生かせるかに生き残り
がかかっているのではないでしょうか。そうしないと、あと20年以内に新聞社は姿を
消すことになるでしょう。