中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(172)私を守ってくれたのはだれなのか

  (イスラエルパレスチナ問題―その3-2)

  《いつの間にかパレスチナ人が難民に?》

 自分たちが3千年以上住んでいた土地を突然奪われ、その上邪魔者扱いされ、いつの間にか難民のように扱われている実態を私達は正視しなければいけないのではないだろうか。

できることならイスラエル建国の時まで遡って、せめて国土を半分ずつに分けて仲良く住んでもらいたいものだ。なぜそのようなことが出来ないのだろうか、その答えは1970年代のイスラエル首相だったゴルダ・メイアの言葉に表れている。「イスラエルの国境は、地図の上に引かれた線ではない。ユダヤ民族が住みついたところにある」 と、彼は言ってのけたのである。この姿勢が今もイスラエルの姿勢の中に生きているように感じる。

   《国連決議》

この記事を書きながら、私は何度もイスラエル側の言い分にも耳を傾けようとした。しかし、調べれば調べるほど、イスラエル側が正しいと思えるものが見つからない。その証拠に国連においては何度も「イスラエルの占領地区からの撤退」が決議されているがイスラエルはこれを全く無視する態度を変えていない。また、アメリカはこれまでにイラクのクゥエート侵攻に対しても「国連決議」を強引に導き出し、その決議を拠り所に攻撃を行い、日本はその攻撃費用を三兆円も負担したものの「日本は何の功績もしていない」と言われた事は記憶に新しい。しかし、どういうわけか、イスラエルに対しては何度も国連決議が行われているにもかかわらずアメリカはこれを無視しているのである。9・11事件がアメリカに対して行われた伏線がここにもあるということを明記しておこう。言い換えれば、日本政府もパレスチナの人たちには冷たかったと言うことだろうか。世界戦略上では公平を保つことは難しいようだ。国際金融を抑えているユダヤイスラエル)や、一番の貿易相手であり防衛上は核の傘であるアメリカの政策を表面だって非難できないし、パレスチナを非難することもアラブ諸国を敵に回して大切な石油資源を失いかねない。これが日本の立場である。私も個人の資格では公平なことは書けても、日本の首相となればうかつなことがいえなくなるだろうと思う。

     《歴史を紐解けば》

 少しだけ歴史を振り返れば第1次大戦によって英国がこの地を統治したことに始まると書いた。英国が何度も相手によって空手形を発行したことが混乱を深める要素になっている。「マクマホン書簡」(1915年当時の英国のエジプト高等弁務官)によれば、この地はアラブ人の土地であり、「サイクス・ピコ秘密条約」(1916年、英国の中東代表マ-ク・サイクスとシリアのフランス総領事フランソワ・ジョルジュ・ピコとロシア代表の秘密会議で、オスマントルコの領土を3カ国で分けることを合意し、英国がヨルダン、イラクの一部、パレスチナ地区を領土とするという条約)によれば英国の領土になり、「パルフォア宣言」(1917年、前記の「サイクス・ピコ秘密条約」を楯に、英国外務大臣パルフォアが「イギリス政府はユダヤ人のための国家をパレスチナに建設することに賛同し、最善の努力をする」と言う書簡をユダヤ人であり世界一の巨大財閥であるウオルター・ロスチャイルド卿宛てに出した)によればユダヤ人の土地となるという奇妙な図式が出来上がったのである。

     《中国でも・・》

 ついでだから書いておくが、その当時中国を巡って同じようなことが行われていた。ロシア、英国、フランス、アメリカなどが中国を分割して自分の領土とする話し合いが具体的に行われていたのである。日本と中国との間の戦争は、そのような背景の中で起こったことである。あの当時、日本が中国を抑えていなければ、中国はこれら諸国によって分割されていただろう。歴史は深く詳しく、平等に見るべきである。

   《英国とアメリカの戦略》

 1917年の「パルフォア宣言」によって、1921年からこの土地に世界中のユダヤ民族の大量移住が起こり、パレスチナ人の追い出しが行われたことが紛争の始まりである。

 この1921年の7月には、英国はサミュエルを初代高等弁務官として任命したが、彼もまたシェル石油支配者一族のユダヤ人であった。当然ユダヤ人に有利な植民地政策を推し進めた。イラクの一部まで領土とした英国は、イラクのモスールに油田を掘り当て海岸のあるシリアまでパイプラインを1934年に設置を完了した。このような石油独占を計る英国の動きをけん制したアメリカはロックフェラーなどによる反撃体制を敷き、着々と石油確保のための外交を強化していくのである。

 もちろん、自分たちの土地を自由放題にしているこれらの行為にパレスチナの人々が黙っていたわけではない。後に1990年ヨルダン王妃となって美女の誉れ高い王妃ラーニャの先祖は、パレスチナ人を率いて反乱を起こしたのである。しかし、ユダヤ人戦闘部隊は各地でパレスチナ人虐殺を繰り返し、ついには前述のようにアメリカとロシアの強引な圧力のもと国連において「分割案」が可決され、イスラエルは勝手に「建国宣言」をしてしまう。

これに対して国連の安保理事会においては何度も「イスラエル非難決議」が出されるが、アメリカは拒否権を発動してことごとく葬ってしまったのである。

9・11事件の根は深く、今に始まったことではない

    《石油利権が建国の根本だった》

 賢い読者はすでにお気づきだろうか。

 そうなのである。ユダヤ人によるイスラエル建国の本当の狙いは石油利権確保のためである。

 アラブ人たちに石油を独占されたくないための布石だったのだ。囲碁に喩えるなら、絶妙な場所に布石したと言えるだろう。イスラエル建国を積極的に推し進めた国々は、自国にとって何が有利かだけを考えてのものであり、パレスチナ人たちの未来にまで気配りをしなかったのである。

 今月で、パレスチナイスラエル問題を終えるが、読者諸氏は今後この地の問題を克明に追って欲しいものだ。多くのことをそこから学び取ることだろう。

   《太平洋戦争》

 ここで思い出していただきたい。なぜ大東亜戦争は起こったのか、起こさざるを得なかったのか。因みにあの戦争の事を日本政府は「大東亜戦争」と呼び、アメリカ政府は「太平洋戦争」、ヨーロッパ各国は「第二次世界戦争」と呼ぶことにしている。

 英国による中国へのアヘン戦争などを利用しながら、列強諸国は中国を分割して自分たちの領土としようと話し合っているのを知った日本は、このままでは自国までが危なくなると危機感を強め中国へ軍を進めた。当時のアジア地図を見て欲しいものだ。タイランドを除くすべてのアジア各国はすでに、オランダ、アメリカ、スペイン、イギリス、フランスなどの西欧諸国の植民地である。この上中国までがそうなると残されるのは日本だけであり、日本もその手に落ちるのは目に見えていた。

 日本の中国進出に、アジアの覇権を日本に奪われては一大事と、アメリカをはじめとする国々が、日本軍の中国からの撤退を迫ってきたのである。それに異議を唱える日本に「経済封鎖」が行われたのだ。明治維新後、急速に進む日本の近代化の中にあって、石油は何が何でも確保しなければならないエネルギーであった。その石油を一滴たりとも日本に与えないように完全に包囲網が敷かれ、一切の石油輸入が出来なくなったのである。現在では、イラクがこの「経済封鎖」をやられているが、イラクには石油が一杯噴出するために、あの当時の日本ほど経済封鎖効果はないだろう。しかし、イラクでは医薬品などの不足が深刻になっているようだ。日本の場合も、開戦までにはさまざまな努力がなされたことは歴史に刻まれている。好きでやったことではない。歴史上、その是非が問われるのは今後200年以上経ってからだろうと思う。

このように、一方では、「正義」と称し国際世論を操り、根拠もないのに9・11はアフガニスタンが犯人だとばかり兵を送り、とてつもない量の爆弾をアフガニスタンに投下し、9・11で亡くなった人の数の何倍かの民間人を殺傷した。今度は、イラクが大量殺戮爆弾を作っている疑いがあるから攻撃するといっている。しかし、長期にわたって過激なテロ活動を行ってきているアイルランド北部を攻撃するとは言わない。パレスチナ人に対してロケット弾を打ち込んでいるイスラエルを攻撃しないで弁護までしている有様である。

私達日本人は、かつて自分たちがやられてきたことを、アフガン、イラクパレスチナ人がやられているのに、これをほとんど無視してしまっている。せめて、公平に事実を見る姿勢だけでも保って欲しいものだ。

 イスラエルアラブ諸国との争いは今後も続く。解決するはずがない問題でもある。