中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(115)私を守ってくれたのはだれなのか

  《人生の再出発をどうするか》

私はこれまでに再出発を何度やってきたことだろう。 それが私の人生の宿命かもと思う。

  学校を手放すことには大いに悔いは残るけれど、素晴らしい結果を残せたことで大きな満足感はあった。 卒業生も立派に育っていることがうれしかった。

 裸でこの世に生まれてきて、大きな業績を世に残せたと自負できた。

わたしが身を引いた時の在校生は約六百人、職員数は五十人だった。 少なくとも千人以上の生徒を高校に進学させることが出来たのはうれしい。

 彼らに、次のチャンスを与えられたことがうれしい。 彼らが、わたしの期待に応えて社会で活躍できていることも嬉しい。

 なによりも、生徒を信じ続け、彼らが、それにこたえてくれたということが私の財産として、いつまでも心の中に残ることだろう。

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  給料がいただける約束があり、新理事長が困ったときには相談に乗るという約束もあるが、学校と家が近く、気になって仕方がない。教員たちもなにかと相談に来る。このままだと、前理事長派と、新理事長派に分かれてしまうかもしれないという危惧を持った。

 しばらく学校から離れた場所に身を置くことも考えたが、それもならず、これまでの生徒とのかかわり方について書いてみようと、原稿用紙に向かって書いた。 それが【教育の原点】という本になり、各新聞社が書評を書いてくださった。

 十五歳という、(人生の点)のような高校入試という時期に、入試に失敗すると「落ちこぼれ」と言われるレッテルが張られる。

 長い人生を通しての評価をしないで、「点」だけで人を評価するということが、あの頃から39年経ったいまでも変わっていない。 

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 わたしは五十歳からは人のために生きると決めたが、とにかくはそれを本にしてみようと、前記の原稿を書き始めた。

原稿用紙五百枚ほど書きあがったころで、これをだれかに読んでもらって、批評を聞いてみようと思ったのだった。

 さて誰に読んでもらおうかと、思案したときに一人の女性を思い出した。

小学校の教諭で、以前はしばしば、彼女が学校での生徒指導に迷ったときに私に相談していた人で、飯田節子さんという。

どこで知り合ったのかも忘れているが、最初にほかの小学校教諭たちも同席しているときに、あるケースの問題を取り上げて議論されていた。 その時に、わたしが提案したことにみんなが驚き、「教育に携わっていない人が、どうしてそこまでわかるのですか」と、彼女が質問してきたのがきっかけとなった。

 学校での生徒指導は、教育に携わっているものが一番よく知っていると、教諭たちは思っていたようだ。 私に言わせると、それは傲慢というもので、教諭ほど世間知らずな人種も少ない(笑)と反論したのだった。

 それがきっかけとなって飯田さんとよく会うようになっていた。 彼女は関学の英文学科卒業で、ご主人も同じ学科だったという。 「私が、意地悪をして、主人を殺したみたい」という暗い過去を語っていた。

もうそうだとしたら、教諭という職業は合わないのではと思ったのでご主人の話も覚えている。小学校にも、それほど生徒指導に手を焼く生徒がいるのだと知ったのは、彼女の相談のおかげであった。

私が多忙になり、いつしか長い期間会うこともなかったし、連絡が来ることもなかった。書き進む原稿が溜まるほどに誰かに一度読んでもらいたくなって、彼女に電話を掛けた。

『三宮で娘と会う約束があるので、三宮でよかったら』

 と、駅で待ちあった。

『久しぶりです』

『あれから、わたし大手術をしたのだけど、知らないわよね』

『そうだったのですか、何も知らなくてごめん。大変だったのですね』

『自分の中では、一つ成長したような気持でもあるけど』

『それならよかった。もう心配いらないのですね』

『もう大丈夫。それより、どこに行こうか』

『しばらく三宮にも出てこなかったからね』

『仲間たちとよく行く素敵なコーヒー店があるのだけど、そこには連れて行きたくないなー』

『どうしてですか』

『何か、予感がするの』

『何の予感?』

『そこにね、素敵な女性が居てね、どうもあなたとは相性がぴったりのようで、取られそうな気がするの』

『何を取るの?』

『鈍感ですね。その女性に貴方を取られそうな気がするって話ですよ』

『だって、飯田さんと私は約束した仲じゃないし』

『そうなのだけど、娘が大きくなってきてね、独立するかもしれなくて、そうなったら私が独りになる

でしょう。お母さん結婚を考えたらというのね。 娘と話していると、これまでたくさん男性を紹介されたけど、あの人なら良いと思うのって、あなたのことを持ち出すのよね』

『それは、意外な話だな。そんな子供の時から、考えていたのかな』

『そのはなしも、だいぶ前のはなしよ。今日、電話をもらって、娘とも会うことになっていたから、話をくっつけただけですよ』

『でも、その予感って、気になるな。つれて行ってくれるかな』

『いいですよ。じゃあ行きましょう』

そんな経緯があって、その店へ行った。

 六席ほどの瀟洒な店だった。老齢の女性と、予感の彼女がいた。

 その日は、学校創立のいきさつとか、生徒のはなしだとか、原稿の話などをした。飯田さんは、娘と会うからと帰っていった。 私も帰った。