会見し、この生徒が担任の男性教諭に不信感を持っていたことを明らか
にした。
市教委は第三者委員会を設置し、原因と担任教諭や学校の責任などに
ついて調査するらしい。
こういう問題で、いつも私が言うことだが、教師の責任だけではないだろう
ということだ。
生徒は昨年9月の体育祭の組み体操でけがをして、病院で両手親指の
生徒は昨年9月の体育祭の組み体操でけがをして、病院で両手親指の
骨にひびが入ったことが分かった。それを母親が学校に連絡した際、
担任教諭はけがを教頭に報告しておらず、対応などから不信感を持つ
ようになったという。
生徒も両親に「担任が親身になってくれない」と話していたとされる。
生徒も両親に「担任が親身になってくれない」と話していたとされる。
学校側は別の教諭が見守ったり、進路指導の担当を代えたりして対応を
わけもなく、教師に殴られる日々だったと書いている。殴る教師は一人では
なく、殴らない教師の方が少なかったと書かれている。
だから、中学生の頃(芦屋市)の頃を思い出したくないとも書かれている。
私の高校に入学してくる生徒たちに、中学生の頃に、殴る教師がいたか
どうかを調べたことがある。
その時も「先生、殴った先生の数よりも、殴らなかった先生の数を聞いた
ほうがよいよ」と生徒が言ったものだった。
教師の責任は、いつの時代でも大きい。しかし教師の資質なんて考えないで
採用しているのだから、教師に期待する方がおかしい…と、私は思っている。
学校に預けるような気持ちでいてはだめなのだ。
学校というところは、すべての生徒にまで目配せできないのだ。
教師だけではない、世の中は不信感でいっぱいだ。
たくましく生きるためには、誰かに頼ってはいけないのだ。
自分で考えて、独りでも、どこでも、生きてやる! という、気持ちを持て!
と、言えば厳しいのかな?
誰かに頼って、依存して生きてるようでは、いつかは潰される。