中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

社交ダンスを習っていた頃

日本では(社交ダンス)というが、本当は「ボールルームダンス」という。

ドーム状の屋根を持つボールルームで踊るからだと思っている。

ダンスの大きな大会などは、必ずボールルームで行われる。

円形の周囲にテーブルと椅子が置かれていて、踊り手は中央部で踊る。

ダンスの大会があれほど華麗なものとは知らなかった。オーストラリアでは、プロと呼ばれるダンサーが沢山いる。

いろんなタイトルを持っているダンサーが踊るのを見ていると、とても人間技とは思えない。

私達は毎週一回、近くのダンス教室に行っていた。

元はキリスト教会だったところが、そのままダンスレッスン場として使われていた。

教師は一人だけ。マイクと言った。彼はオーストラリア人としては背が低く、私と同じぐらいの170センチほどだったが、ダンスをするときのマイクは、華麗な踊りで大きく見えたものだ。

教え方も上手で、楽しく、飽きさせない。

同じ曜日に来ていた人たちは老若男女で、それが不自然じゃなかった。

日本のように高齢の男女が集っているほうが不自然だと思える。

レッスンタイムは愉しかった。いつもマイクから「エクセレント!!」と褒められていた。

ところが、フリータイムになって次々と楽曲が聞こえ始めると、どうも思うように行かない。

練習では下手だったオーストラリア人達は、楽しく踊っているというのに、こちらはモゾモゾしている。

間違えちゃいけないという気持ちが、楽しく踊れなくしてしまう。

あちらでは、小学生の頃から、放課後にダンスを習わす親が多い。

日本のように学校の部活がないから、放課後はサッカー、テニスなどのスポーツと同じようにダンスを習わす。

わたしたちのダンスレッスンでは、いつも最後にはみんなで輪になって順に組みながら踊る。

でっかいオバサンと組むと、ステップなど関係なく力一杯で私を振り回すのだ。あれには参った。

遂に、「最後のダンスは止めておく」よと妻に言った。

当時から腰が痛かったからだ。振り回されるのが怖かった。

腰椎が次々と折れて本格的腰痛を味わうのは十年前からだが、腰痛歴というと25年にもなるのだなと思い出している。