中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「鎌倉殿」の見方、考え方(2)

(1)に書きましたように、鎌倉時代には農機具の発達で人々の生き方も大きく変わりました。

このドラマの舞台になっている頃よりもう少し前から鍬などが手に入るようになっていました。

金のあるものは、鍬を五十も買い、五十人の人達に土地を耕かせ、農地を広め、力を蓄えていった。

当時は、京の公家たちが全国各地の土地を我がものとしていて、農民たちに土地の所有を認めていなかった。

鉄製のクワができた事で農地が広がり、生産が増え、公家衆と農民が争う関係となっていった。

こういう形で(坂東武者バンドウムシャ)と言う、関東の武士集団が増えて行ったのです。

武士と農民は一体であって、後の世の武士と農民の関係ではありません。

クワを持つ者が刀を持つようになったのです。

鉄の生産が、刀を生み出していたのです。

この時代に日本という国は一気に、それまでの日本とは違ったものになって行きました。

歴史を考えるとき、鎌倉時代を大きな区切りとして考えるべきなのです。

東武者たちは、源義経と言う天才的な戦術家によって時代を制していた平家を駆逐してしまいます。

しかし、義経は兄の頼朝によって追われ、殺される。歌舞伎、映画、ドラマ、小説などで最も人気のある時代でもあります。

義経は戦術家であったが政治は分からなかった。

頼朝に追われる身となった。

こう書いても、分からない人がいるでしょうね。

それは各自で学んでください。

ともかく、鎌倉幕府は、土地争いを繰り返す人たちの訴えに基づき、その裁きに追われた。

まるで裁判所の役割に多忙だったのです。

広い関東が、坂東武者達にとっての大きな勢力圏となって行きました。

一生懸命という言葉があります。

でも、本当は「一所懸命」が正しいのです。

農民たちが、自分の土地を必死で守りながら耕し続けたのです。

源平合戦に出かけて平家軍と戦った。命がけの一所懸命だったのです。

源平合戦だけをドラマにしても面白い、(須磨浦の戦い)(屋島の戦い)(壇ノ浦での戦い)どれをとっても、素晴らしいドラマです。

それらの素になったのが、(鉄の出現)でした。