私の持論を先にいうと、経済学者ほど無責任でいい加減な事をいう。
過去にノーベル経済学賞を受賞した人で、なるほどと思えても、よく当たっていると思えるものはあまりない。
例えばだが、今日も米国では超過負債が問題になっている.
超過負債といえば日本は世界的一なのだ。
収入である税金が少なく、支出が多いということは赤字だということ。
その赤字の部分を国債を発行して補っている。
赤字国債を国民が買っているのならば文句はないが、円を印刷している日銀が買っているのだから、
なにおかいわんやである。
我が家も赤字だから、家債を発行して赤字を補いたいが、買い手がない。買い手がないと手元に入ってこない。
ところが、国債を発行した百兆円という(円札)を印刷して社会に回しながら、国債そのものも日銀が買い取るというマジックをやっているのだから怖ろしい。
私が、家債を発行して、偽札を作ったらどうなるか。
ところが、経済学者の意見はバラバラなのだ。
古い経済学ではとか、新しい経済学ではとかとか言いながら、真逆の理論を持ち出して論争する。
過去に当たった経済学があるのならば、それも信用するが、経済学ほど当てにならないものはない。
だが、現実的にはそれらの経済学を(盾)に取りながらまやかしを行っている。
それが政治の世界でもある。