中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

京大学長・山極さんの「新型コロナ」の説明は一番納得できる

  先日、毎日新聞で紹介された記事だが、あまりも素晴らしい内容であり、

新型コロナウイルスについて、これほどわかりやすい記事は他にはないと

私は思っている・・・ので・・是非とも皆さんにも、お読みいただきたいのです。

「新たな経済秩序、国際関係、暮らし方の早急な模索を」

 京都大学学長・山極寿一先生の文章です

 これほどまでに新型コロナウイルスの影響が広がると誰が予想しただろうか。中国の武漢で発生した時は、世界でも日本でもまだ楽観する見方が多かった。しかし、もはやどの国でも緊急事態宣言は必至という勢いで感染者も死者も膨大な数に上っている。エイズエボラ出血熱SARS重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)、ジカ熱など、この数十年ウイルスによる新しい感染症が増加しているにもかかわらず、今回の事態に大きく混乱してしまった原因は何なのか。更に、たとえこの感染症終結しても、もはやこれまでの状態に簡単に復帰できるとは思えない。強固な感染症対策を打ち立てるとともに、新たな経済秩序、国際関係、暮らし方を早急に考えていく必要がある。

感染の拡大が危惧され始めた時、私の頭に浮かんだのはカミュの「ペスト」でも小松左京の「復活の日」でもなく、「猿の惑星」というSF映画だった。1968年に第1作が公開されて人気を博し、その後続編が次々に製作された。米国から打ち上げられた宇宙船が6カ月の飛行を経て地球へ帰還する。その時、地球時間は700年後の2673年になっている。4人の宇宙飛行士が出くわしたのは、人間の言葉をしゃべって文明生活を送る類人猿(オランウータン、ゴリラ、チンパンジー)と、言葉を失って飼育されている人間たちだった。なぜそんなことになったのかは、いくつかの続編を経て明らかになる。感染症の新薬を開発するため実験用に飼われていたオスのチンパンジーがある時、変異を起こして人間の言葉をしゃべるようになる。彼は策略を巡らして同じような境遇にある類人猿たちを解放し、自治区を設ける。その後、人間の世界ではあるウイルスによる感染症が急速に広がり、人類は絶滅の危機にひんする。わずかに生き残った人間たちは言葉がしゃべれなくなり、この感染症に抵抗力を持っていた類人猿たちに支配されるようになったのである。

原生林開発でウィルスの感染経路広げる

  実は、ウイルス感染症は野生動物に由来する。中でもコウモリが元の感染源だとする説が多く、SARSはコウモリのウイルスがハクビシンを経て人へ、MERSもコウモリからラクダを経て人へ、という感染経路が推測されている。今回の新型コロナウイルスも、コウモリやセンザンコウから見つかったウイルスに遺伝子配列が似ているという報告がある。

武漢では市場で野生動物の販売が行われ、ここを通してコウモリから、あるいはコウモリからセンザンコウを経由して人に感染したのではないか、という臆測も流れている。コウモリは洞窟や樹上に集合して眠る習性があり、ウイルスに感染しやすいホスト(宿主)である。すでにウイルスとの接触が長く、感染しても発症することはない。感染を繰り返すうちにウイルスが変異して、他の動物や人に感染しやすい性質を持つようになるのだ。

 類人猿もこういった中間ホストになっている疑いがある。私が長らくゴリラの調査をしているコンゴ民主共和国ガボンでは、エボラ出血熱がたびたび勃発する。これも果実を食べるコウモリが感染源と言われ、ガボンではゴリラやチンパンジーが大量に死んだ。その現場を歩いたことがあるが、ゴリラはその地域でほぼ全滅していた。奇妙なことに、川を挟んでこちら側には全くゴリラの痕跡がないのに、反対側には群れがいくつも生存していた。おそらく、ゴリラが川を渡れないため、ウイルスが川を越えられなかったと考えられる。しかも、感染地域で唯一生き残ったのは独り暮らしのオスだった。また、この地域ではチンパンジーも生息していて、エボラにより多くが死滅したが、ゴリラよりはわずかに生存率が高かった。

 この理由はゴリラとチンパンジーの集合性の違いにある。ゴリラはまとまりのいい集団をつくる。食べる時も休む時も全個体が一緒で、夜寝る時にも近くにベッドを作って眠る。しかも、それぞれの集団がなわばりを構えていないので、いろいろな集団と出会う。地上の草をよく食べるので、他の個体が接触した草に触れることが多い。だから、エボラウイルスが感染するのも早く、あっという間に同じ地域に生息するゴリラに広がった。単独生活をするオスは、集団とも、他のヒトリゴリラともあまり接触しないので感染を免れたのだろう。

一方、チンパンジーはまとまった集団をつくらず、単独か小集団で動く傾向がある。また、なわばりを構え、隣の集団とは行動範囲を分けている。このため、ウイルスの感染速度が遅く、感染せずに生き残った個体が多かったのだろうと思われる。

 コウモリによるゴリラとチンパンジーの感染は、おそらく樹上で同じ果実を食べる時に接触したか、感染したコウモリの食べ跡に触れて感染したのではないかと考えられている。なぜ、近年になってエボラの発生が増えたのか。それは、伐採によって森林が分断され、これまでめったに接触しなかった類人猿とコウモリが同じ果樹で出会う機会が増えたからではないか、と推測されている。夜行性のコウモリと昼行性の類人猿は普段出会わない。でも、伐採によって果樹の数が限られ、ゴリラやチンパンジーが採食する木でコウモリが眠っていれば接触してしまう。それに、ゴリラやチンパンジーは夜間に樹上でベッドを作って眠る習性がある。こうした時に飛来したコウモリと接触する。いずれにしても、これまで手付かずだった原生林に開発の手が入り、動物たちの動きが制限されて接触の機会が変化したことが、ウイルスの感染経路を広げたことは確かなようだ。

人間の活発な活動も感染拡大理由に

 更に、人間の動きが活発になったことも、未知のウイルスが人に感染する可能性を広げた。コンゴでもガボンでも昔から未知の感染症が知られていた。しかし、森の奥では人々が広範囲に移動せず、感染症が発覚すれば村全体を焼き払う方法で対処してきた。ところが、近年増加した森林伐採によって、森の中に縦横無尽に大型トラックの走る道路ができ、都市と物資の輸送が簡単にできるようになった。また、携帯電話が普及して奥地でも都市と連絡できるようになった。伐採地は現地に雇用を生み出し、発電機などが導入されて都市型の生活が可能になる。電気のある暮らしと現金経済に慣れた人々は、伐採が止まると困難に直面する。現金収入がないとテレビも冷蔵庫も洗濯機も使えなくなり、料理にも困る。そこで、手っ取り早い解決法として野生動物を狩猟し、伐採道路を利用して都市に運んで売りさばくようになった。携帯電話が都市からの注文を受けるのに利用され、銃も簡単に入手できて猟の効率が上がる。ウイルスに感染した野生動物が都市に出荷されて感染が広がる。感染した村人たちも発症する前に都市との間を移動する機会が増え、あっという間に感染症が広がる。こうしてアフリカの熱帯森林に限られていたエボラ出血熱は、国境を越えて米国にまで出現したのである。

 今回の新型コロナウイルスは、これらのウイルス性感染症の拡大版である。過去の感染症と比べ、はるかに巧妙になっている。ウイルスは自身で増えることができないから、生物の細胞に寄生して自分のコピーを作らせ、細胞を破裂させて分散する。宿主をすぐに殺してしまっては分散できない。新型コロナウイルスは感染しても症状が出るまでの潜伏期が長く、全く症状が出なかったり、症状が軽かったりする人が大勢いる。感染力は高く、せきやくしゃみでうつり、感染者が触れた場所や物に健常者が触れた手で目や鼻をこすれば感染する。生存力も高く、プラスチックの表面では3日間も生き延びる。実にしたたかな性質を進化させているため、感染者が無自覚なうちに人々にうつり、人々の移動や集まりに乗じてあっという間に広がった。

人間社会の盲点ついた新型コロナ

 新型コロナウイルスは、現代の人間社会の盲点をついている。ゴリラやチンパンジーの場合は、彼らが移動できる範囲にウイルスの感染が限られていた。だから、感染個体の死滅によって感染は止められ、社会や暮らし方が大きく変わることはなかった。しかし、現代の人間社会はグローバルな人や物の動きが加速して、爆発的なウイルス感染が起きやすい状況になっている。

スポーツやコンサートなどのイベントが増え、多くの人々が密着する機会が増えた。都市だけではない。地域でお祭りや催事が盛大に行われて観光客を呼び寄せ、県境や国境を越える人々の動きが高まっている。

商品も自分の手に渡るまでに多くの人の手を経ている。

都会では外食がはやってレストランやバーが林立。カラオケなどの密閉した空間で歌ったり踊ったりして楽しむ人が増えている。新型コロナウイルスはこうした人間の営みを全否定しようとしているのだ。

 まだ特効薬が開発されていない現在、ウイルスの感染を防ぐには人と人との接触を避けるか、複数の人が触れるような共有物を排除するしかない。それは、これまで人類が進化と文明の歴史を通じて育て上げてきた人のつながりを断ち切ることに等しい。人類は長い進化の過程を通じて、信頼できる人とのつながりを増やしてきた。脳が大きくなったのも共感力が高まったのも、音楽や言葉が生まれたのも人の輪を広げるためである。家族や共同体が生まれたのも、農業革命、工業革命、情報革命を経て現代に至ったのも、もとはといえば多くの人とつながることが幸福への道だと信じていたからである。

 人間の幸福にとって最も大事なのは、親しい人とのだんらんと、好奇心を満たす出会いである。はるか昔から食事は人々をつなぎ、家族や共同体を支え、新しい出会いの潤滑剤になってきた。感染を防止するために孤食を奨励され、移動を制限される今日の事態は、まさに人間の根源的な欲求を押しつぶす。

 私はかねてインターネットやスマートフォンなどの情報機器が人々の身体による交流を妨げるとして、使い方を制限したほうがいいと警鐘を鳴らしてきた。しかし、この事態に至ってはむしろ情報機器を賢く利用して、人々の最低限のつながりを確保したほうがいいと思う。

誤った情報やヘイトスピーチスマホ漬けなどの悪影響もあるが、多くの人が家に閉じこもらざるを得ない状況では頻繁に連絡を取り合ったほうがいい。ただ、あまりスマホに頼り過ぎず、正しい情報を適切にやり取りし、炎上するような深い討論は避けるべきだろう。最も懸念すべきは、この分断によって社会に共感力が失われることである。それは人間と類人猿を分ける最も大きな違いであり、共感なき人間の社会はない。「猿の惑星」のように人間が言葉を失うことはないだろうが、感染を避けるためにコミュニケーションや人間同士の関係が変わる可能性がある。他者と分断されて、自分の利益だけを考えるようになってしまっては、この感染症が克服されても幸福な社会は築けない。人々の分断と国境閉鎖が続けば、どの国も他国に対して、異民族、異文化に対して、これまで以上に不寛容になるだろう。そんな事態を招かないよう、多くの人と国境を越えて連絡を取り合い、地球規模の新たな連帯を模索すべきだろう。

 もうひとつの懸念は、コロナ後に各国が猛烈な経済復興対策を取り、それがこれまで以上に地球の崩壊を招くことである。近年のウイルス性の感染症は、自然破壊によって野生動物との接触を加速したことが原因である。更に自然資源の開発が続けば、深海や氷河の下に眠っている未知の微生物やウイルスを人間世界に引きずり出してしまうかもしれない。

開発の手を抑えても、地球温暖化は生物の動きを変え、新たな脅威をもたらす可能性がある。今私たちに必要なのは、グローバルな地球と国の動きと、私たち自身の身近な暮らしの双方で、人間にとって大切なことは何かということをじっくり考えることである。コロナ後に、それが決定的な効果を生むだろうと思う。

エボラ出血熱

 エボラウイルスによる感染症。主として患者の体液などに触れることで感染し、発熱や頭痛などの症状が突発的にあらわれる。致死率は50%前後と高い。1970年代以降、アフリカで流行が繰り返されている。

やまぎわ・じゅいち

 1952年東京都生まれ。京都大大学院博士後期課程単位取得退学、理学博士。霊長類学者・人類学者で、ゴリラ研究で世界的に知られる。京都大教授、京都大理学部長などを務め、2014年から京都大学長。17年から日本学術会議会長。「ゴリラからの警告」(毎日新聞出版)など著書多数。