中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

家紋は何? 問題解決は簡単です!!

 今日の新聞記事に「我が家の家紋が分からない」という

人が増えていると、いかにも大問題扱いに書かれていた。

だいたいが「日本人のお名前」なんてNHKが取り上げる

ことの方が大間違いなのである。アジアの中国、韓国に

比べても日本の姓名ほど怪しいものはない。そういうことを

NHKが知らないはずもないのに番組が続いていたことが

不思議だった。戸籍法が出来た明治以降なら信用できるが、

ご先祖の姓名なんて、90%以上が嘘っぱちだと言ってよい。

家紋のデザインは凄い! おもしろい。日本が誇ってよい

ものだと思っている。しかし、我が家の家紋・・なんて姓名

と同じようにいい加減なものだ。 わが家では、祖母が私に

言い聞かせた言葉があった。「うちの家紋は抱き茗荷」だから

忘れないように・・・と、当時は跡取りとして育てられていた

私に申し渡した。 けれど、私は跡取りにされることなく、

叔父(父の弟)が跡を取ったので、私は家を出た。 何年も

経って墓参りした時に新しく建てられていた墓石には別の

家紋が刻まれていた。私は、言うのも馬鹿らしいので、なにも

異論をいってない。 まあ・・何でもいいんじゃないか・・と

思うからでもある。デザイン的に気に入れば何でも良い。

家紋に伝わる物語りが気にいれば、それにしたっていい。

 家紋は沢山ある、選り取りみどり状態だ。気にすること

なく選ばばよい。西郷隆盛を知らない日本人はいないだろう。

明治になって氏名を届けることになった。士族は氏名を持って

いたが正式名と呼び名があった。おどける際に人任せにしたところ

西郷隆盛」と届けてしまった。隆盛は彼の父の名前だったのだ。

隆盛の本当の名前は「西郷隆永」だったのだ。弟は「西郷従道」に

なっているが、彼の場合も人任せにしたので間違えている。

かれは「わしは、隆道じゃ」と音読みでいったのだが、聞いた人は

リュウドウをジュウドウと聞いてしまったらしいという。そこで

従道が届けられたという次第。私の友人などは明治期に先祖が

「久賀」と届けたつもりが「賀」を略字で書いたために「久加天」

となってしまったのだという。面倒だから村落同じ名前にしようと

決めたところが多かったという。当時は下の名前だけで十分に

通じていた時代だったからだ。 だから、家紋などと言うものは

士族でもいい加減なものだったのだし、大多数が士族でなかった

日本では家紋なんて持っていなかったのが大多数なのだ。だから、

好きなものを選ぶと良い。カッコイイ家紋を選んで誇りにすればよい。

嘘っぱちよりその方がすっきりしている。