中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

失明寸前に助かった、私も小林幸子さんも

  豪華衣装で知られる演歌の小林幸子さんが失明寸前、手術で助かった。
このニュースをみて、私のことを書いてみようとおもう。
 今から20年ほど前、豪州パースに巣産んでいた頃の話だが、運転中に
前の車のナンバープレートがよく見えないので??と思いながら用の
ために運転を続け、夕方になって帰宅した。 トイレにしゃがみ前の
壁を見ていると、タツノオトシゴのような形をしたものが動く。
 それまでも、白い壁などを見たときに小さな星がいくつか見える
ことはあったが、タツノオトシゴのように大きなのは初めての経験
だったので、眼科に行った。 行ったと言っても、豪州では簡単には
専門医にかかることはできないので、普通なら1週間以上待たされる
ところだったが半年に1回の検診予約をしてあったので、タイミングよく
専門医に行けたのだった。 ドクター・キャンディーという面白い
名前だったのでよく覚えている。 ドクターは「こりゃ、えらいこっ
ちゃ!! ほっといたら失明する。今から電話しておくからこのまま
直ぐに行ってくれ」という。 瞳孔を開ける薬がさされていてとても
まぶしい中を運転して、指定の病院へ行った。
大きなビルが、丸ごと眼科ばかりというところだった。その病院に
ついて5分後には手術が始まったが、小林さんの場合と同じでレーザー
治療だった。 最近のレーザー治療はとても進歩しているが、当時の
機器はまだ今ほどではなかったので、レーザーが1発撃たれる度に
ドキンとし、目の中に紫色が拡がって怖かった。 たぶん、100発
ほど発射されたとおもう。 それで失明を逃れたのだった。
 樹木希林さんは網膜剥離と診断されたが放置していて片目が失明した。
網膜剥離に気がつくのが遅れても、放置していても失明に至る。
ところが、タツノオトシゴ(人によっていろいろあるので、この表現に
は捉われないでいただきたい)も、3日もすれば消えてしまうので
多くの人は、そのままで過ごしてしまって失明もありうる。
 2005年に帰国し、2007年に六甲道最寄りの眼科へ行って、医師に
どうも網膜剥離が起きたようなのです・・と告げたら「自分で網膜剥離
に気がつく人なんかいません!」とピシャッ!と女医さんがいう。
ところが検査すると網膜剥離だった。 医師は、自分で見つけた人は
わたしの知る限り、あなたが初めてです・・と仰った。パースで治療を
受けたのは右目であり、新たに左目に網膜剥離が起こったのだった。
この眼科で、とりあえずのレーザー治療を受け、改めて海星病院眼科を
紹介されて、本格的なレーザー治療を受けた。
 自分でよく観察していると網膜剥離に気がつくということなのだ。
55歳を過ぎたら、年に何度か眼科検診を受けることをお奨めします。