中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

判定基準で大相撲の面白みがなくなった

 大相撲も時代の流れの中で面白みがなくなってきた。
今日の結びの一番、大関・高安ー関脇・逸ノ城の取り組みで
高安が土俵際まで追い込みながら引き技をしたために逸ノ城
に押し出される場面で軍配が高安に上がったが、物言いがついて
協議の結果、軍配通りとなった。
 しかし、この一番は昔なら「同体取直し」になっていたケースだと
思う。 逸ノ城の足がわずかに早く土俵に着いたが、高安の体も
完全に飛んでいた。
 だが・・スロービデオで見ると逸ノ城のつま先が僅かに早く着いて
いる。
 陸上の100mレースの判定のような判定だ。 陸上とか水泳の
ように速さを競う競技ならそれでも良い。 しかし相撲の場合は
違う。 土俵際を崖だと思うと分かりやすい。 そうすると、今回の
ばあい、高安の方が先に崖から頭から先に落ちて死んでいただろう。
 体があるとか、ないとかを問わなくなった今の大相撲の判定は
相撲を観る目というものを失わせてしまう。 
 この一番で、土俵の一部が壊れてしまった。土俵の作り方まで
雑になっているからだろう。 あの土俵の下部は、ビールケースで
作られている。 時代が変わったと言えば・・それまでだが。