中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

死を見据えて素晴らしい今生(こんじょう)の別れ方

 今生(こんじょう)の別れと言う言葉をご存じでしょうか?
最近ではあまり使われなくなった言葉なのかも入れませんね。
実は私たちが親しくしていた方が見事な「今生の別れ方」をされその後に
対岸に渡られたようなのです。
 彼女がはじめて我が家に電話をしてきたのは2009年7月30日だった。
日本がん楽会の第2回美術展を開催中でその前日にわたしはNHK神戸
放送局のニュースの時間の中の「この人に聞く」という番組に出ていた。
 その放送を見た彼女の10歳違いのお姉さんから彼女に電話があって、
こんな番組を見たよ。素晴らしい人だと私は思うから、あなた一度電話して
見なさいよ・・・と、彼女に勧めたらしい。そして翌日に電話がかかってきた。
 直ぐに入会させて下さいと言い、その後は日本がん楽会でいろいろと
活躍してくださった。 絵の上手な彼女は毎年の美術展に出展してくれた
し、美術展の受付やニューズレターの印刷や発送にも協力してくださった。
毎月の(がんサロン)には必ず出席してくれたし、がん勉強会にも熱心に
出席された。
 彼女は肺がん(非小細胞がん)だった。年を追うごとにその症状は少し
づつ重くなっていった。肺がんによく効く抗がん剤が新たに出てきたが、
DNA検査で不適合となって新薬の恩恵を受けることが出来なかった。
 昨年は隔月に、がんサロンに欠席するようになっていた。治療で受けた
薬剤の副作用で目に異常が顕れ、その治療に遠くまで行かねばならない
などの苦痛を味わっていた。
 9月24日の夜に電話があり「ついに脳に転移が見つかりました」という
報告を受けた。約1時間話したが「中原さんと出会って幸せでした」と何度も
仰っていた。  そして、その日を最後に、親しくしていた友人たちの誰とも
連絡を閉ざしてしまった。家の電話も携帯も一切通じないのよ・・と友人たち
が心配していたが、「それが彼女の今生の別れ」だったのかもしれないね・・
と話し合っていた。
 偶然のことから彼女が5月31日に亡くなっていたことが分かった。
私たち夫婦も、メンバーのみんなも、毎日のように電話しあっていた友人
たちも・・・明るい颯爽としていた彼女のイメージしか残っていないだろう。
 がんは、部位にもよるが・・・その終末期に脳転移することが多い。
私は以前から脳転移は「至福の転移」だと思ってもいいのだと、メンバーに
話してきたものだった。 がんで苦しい末期を迎えても、いつ死ねるのか
分からない中で苦しみ続ける場合もあるが、脳に転移があると100%死が
近いと思えるのだからね・・・と。
 彼女が脳転移を知らされて以降、どんな治療を受けたのかも知らない。
どこでどうしていたのかさえしらない。 偶然にメンバーの一人がお姉さん
に出会ったことで・・分かったのだが・・お姉さんは、昨年9月末以降の顛末
については語らなかったという。 それでよい、語ってほしくなかっただろうから。