運命論の中で書いたこととダブりますが、もう少し書きましょう。
わたしは、身を守るということは、よく考えることだと思っています。
もちろん、徴兵制度などで軍隊に入れられ、命令に従っている
ような場合には、考えることだけで身を守ることなどできない
でしょうし、中東の内戦状態の中にいる住民たちも、考えることに
よって身を守れるとは思えません。
しかし、日本のような平和な国にあっては、比較的だけれど・・・、
考えることによって身を守れる割合が高くなるのではないでしょうか。
企業の不条理の中で苦しんでいる人も多いでしょうが、身を守るためには、
その企業から離れる選択肢があっても良いのではないでしょうか。
死ぬほどの苦しみがあるのなら、生きるためには企業から去っていくと
いう勇気だって必要かもしれません。
私の長い人生の中にあって、企業らしきものに属した期間はわずかしか
ありません。ですから「年金」が少ししかもらえないのですが・・・。
あとの時間、期間・・は、すべて「自分が考え出した仕事」をやってきました。
それはお金があったからでしょう?と、訊かれることがありますが、全く
違います。
お金があったためしがない、貧乏そのものだったのです。
それでも、頭を使えば生きていける。
そういう意味では、最近は派遣だとか、バイトだとかが多くて「良い時代」
になっている…ようにも、思います。 だから、頭を使わない、考えなくても
よい時代になっているのかもね。
考えるということは、苦しみぬくということなのです。苦しみがなくて楽は
ありませんよね。
がんなどの重い病気の場合も同じです。
医師たちに「お任せ」だけでは、命を守れないことも多いのです。
考えないで楽に生きる人たちは、苦しんで、考えた末に勝ち取った「楽」とは
違うものなのですよね。
でもさ・・こんなことを書いてみたって・・何の役に立っているのかな~って、
思わないでもないのですが、人生を大切に生きてほしいな~と、言う思いが
書かせています。