中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

医療の進歩と命(7)前立腺がん

 
 今回は2番目の持病、前立腺がんについて書こう。

 パースに移住して14年目に入った2005年5月に泌尿器科医の
 Mrイングランドから前立腺がんの告知を受けることとなっ
 (イギリスの関連国では外科医に敬意をこめてDrではなくMrと
   呼ぶようだ)。
がんが見つかったきっかけは、近隣のGPでの血液検査の結果
PSA値が高かったので専門医への紹介を受けたことで判明した。
西欧諸国及びその流れをくむ国々では(たとえばシンガポールなど)
では、日本のように患者が大病院へ直接行くことはできない。
病院へはGP(かかりつけ医)からの紹介があり、予約を取ったうえで
いくことになっている。
その頃の数年間、毎年数回はPSAチェックを受けていたのだが懸念は
なかった。だが今回は要注意ですとGPは言い、専門医であるMrイング
ランド先生への紹介を受けたというわけだ。
その2年前にも、尿道からわずかの出血が見られたので他の泌尿器科
受診したが問題なしと言われていた。あとで考えるとその時すでにがん
発生していたことになる。
がんというものは、急にできるものではない。前立腺がんの場合は最初に
がんが発生してから最低でも数年以上たって発見されるものだ。

 検査の日々
豪州は医療先進国である。多くの分野で日本を上回っているが、日本の
ように一つの病院でさっさと事が運ばないのが豪州の欠点でもある。
針生検、X線、CT、MRI、骨シンチ(骨への転移がないかどうかを調べ
る)血液検査などが別々の病院で行われた。予約が取れた日にすべて独
りで車を運転して行った。
予約の関係ですべての検査が終えるまでに2週間かかった。日本の病院なら
3日間ですべてが判明するだろうに。
 針生検の場合でいえば、日本では通常一晩入院でやるものらしく、中には
 2日間入院だったという人もいる。
 
 最悪の病理診断結果
前立腺というのは膀胱(ぼうこう)の真下に位置し、骨盤に囲まれている。
組織を取るために、クルミ大の前立腺の周辺部分を目がけて肛門近くか
組織採取用の針を打つ。これが結構痛い出血もひどく、1週間以上尿道
からの出血が続いた。日本では通常10本とされているが、私の場合は12
だった。
パースの南に位置する病院までソレントから運転して行ったので、帰路の
運転が大変だった。痛みに耐えながら、尻を半分浮かせながらの運転だった。
 この病理検査の結果が最悪だった。前立腺の真ん中には尿道が通っている。
 がん組織は周辺に起こりやすいので尿道を挟んで右側と左側に分け、がんが
 発生しやすい外寄りの部分に6本ずつ針を打ち込んで細胞を採取する。
 病理診断した結果で、その患者のがんの状態や、今後の治療計画が決められ
 ることになっている。
 私の場合は右側が6本中6本、左側が6本中4本からグリーソンスコア
(日本では悪性度というらしい)は、すべて7と8というとても悪い結果で
 あり、そのうえ右隣の精嚢(せいのう)にも浸潤していたので、予定されて
 いた治療計画が変更された。
 治療計画の変更
 さて、私のがんの進行度を世界標準で表せば「T3N0M0」という。
 病期は3だが浸潤が見られる、しかし転移は見られないということを
 表している。
この診断結果で、予定されていたMrイングランド先生の前立腺全摘外科
手術を受けることができなくなった。
イングランド先生の専門である外科の分野から広い意味での化学治療へと
治療計画を変えなくてはならいことになった。
今後の治療予定は放射線照射だった。当時開発された3D照射(日本の防衛
医科大学の教授が考案)を受ける前に、がんを少しでも小さくしておきま
しょうと「ゾラデックス」というホルモン注射を半年間受けることになった。
 この時点で、今後の治療を豪州で続けるべきか帰国して日本で受けるべきか
 を考えることとなった。
 先に結果から書いてしまえば、病状が進んでいて手術が受けられない状態
 だったことが幸いしたといえる。
 
 治療の選択
豪州でこのまま治療を続けるか、帰国して日本で治療を受けるかの選択を
しなければならない。あと数年は豪州で生活する予定ではあったが、病気と
闘うためには英語の医療用語に困る豪州よりは日本での治療がよいと考えた。
6月に入って一時帰国をして帰国後の住まいと、どういう医療を受けるかを
決めることにした。
 どんな治療を受けるか
 前立腺がんは、他の癌に比べて治療の選択肢は多い。
 私が告知を受けた2005年当時は、前立腺がんの治療の発展途上の端境期
 でもあった。今なら全く違う選択をしたことだろう。
 パースの病院では、今後は放射線の3D照射治療とホルモン療法を合わせた
 治療を受けることになっていた。基本的には日本でも同じ治療法を考えていた。
 ところが、日本で最初に考え出された3D照射が日本ではまだ普遍的ではな
 かったのが信じられない現実だった。
 ある大学病院を受診した。泌尿器科教授が部長でもあった。直接部長に診察
 を受けたまではよかった。部長先生は、多くの医師を従えていて、私に懇切
 丁寧な「前立腺がんについて」を講釈した。インフォームドコンセント
 お手本を、従えている医師たちに聞かせたいのだなと思いながら私は聞いて
 いた。
 部長のインフォームドコンセントが一応終わったので私が質問した。
 「この病院で受ける放射線照射は3Dですよね?」と。
 部長は「3D?」といぶかしげな声を上げたので、私は、もうこれまでと
 思って「有難うございました」と腰を上げた。
 診察室をでると部長先生が追いかけてきて「そうです、3D照射です」と
 私に告げたが、私は一礼して立ち去った。
 当時、この大学病院での3D照射は70グレイ(放射線量)だったようで
 受けなくてよかったと今更ながら思う。
 日本でも前立腺がんの治療が確定的になるのは数年後だった。
 結果的には、粒子線治療を受けることを選び、「兵庫県立粒子線医療
 センター」に入院治療を受けて今日に至っている。
 
  粒子線治療について
 最近、ある人と「二人に一人はがんになる」という話していて次のような
 ことを聞いた。彼女は言う。「がんなんて心配していません。がんになっても
 最先端医療を受けられるので、治りますから」と。
 詳しく伺うと、がん保険の特約で先端医療が受けられるようになっていると、
 粒子線治療でがんは簡単に治ると固く信じているという。
 今や、粒子線医療は保険会社の「売り」商品となっている。
 多くの加入者に「勘違い」をさせている。
 
  すべてのがんが粒子線治療の対象とはならないし、粒子線治療を受けても治るとは
  限らない。
  前立腺がんの場合にも私のように、治療を受けた後にPSA再発している人も多い。
 
  私の周辺ににも粒子線での治療時には「早期発見」でグリーソンスコアも6であった
  患者が治療後数年で二人亡くなっているし、他にも骨転移している患者もいる。
  粒子線治療は 夢の治療法ではない。
  私は、治療費が10分の1程度でよいIMRTでの治療をお勧めする。