中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(114)私を守ってくれたのはだれなのか

 とても恥ずかしいことだが、保護者会会長に、ことのいきさつをすべて話し、このままでは学校経営が難しくなることを告げて相談に乗っていただいた。

  現在の債務をそのまま引き継いで経営してくださる人はいないだろうかと、今後の問題について話し合った。

 彼は、このような素晴らしい理念でやっている学校はほかになく、私の友人たちも大いに注目しているので相談してみましょうと言ってくれた。 彼も大きな事業をやっていて、加入しているクラブなどで多くの友人を持っているので、相談相手には困らないとも言って下さった。

 二週間後、彼の友人で、大きな事業をいくつもやっている人が、引き受けてもよいと言ったという。

  だが、ハイそうですかと、誰でもいいからというわけにはいかない。 保護者会会長と、あとを引き受けてくださるかもという方と共に熱心な会合を五回もって話し合った。 

 私の懸念は、一つだけだ。この学校の理念に基づいて、生徒を裁かず、人を育てる教育を続けてほしいという願いだった。保護者会会長は

『私も紹介した以上、責任をもってこの学校の理念を持って経営に当たれるように側面から補佐します』

と、全面バックアップを約束してくれた。 銀行の債務は多額だったが、須磨校舎の評価額も債務と同じ以上であったので、引き継いでもらえる根拠となった。

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 問題は、魔女が持っている、ライフロングエデイケーションの株だった。わたしは株の半分を彼女に与えていた。 私は、お金にたいして淡白でもあったので、苦労を掛けている彼女に半分の株券を渡していたのだった。 もちろん、株券を渡たした当時の(株)ライフロングエデイケーションは、ほとんど何の財産もない会社ではあったが、この当時には、須磨校舎などの資産が加えられていたのだ。

  魔女に、株券を戻してくれと頼んだが、話は簡単には進まない。 二か月以上も紛糾した。彼女は弁護士を立てて争ってきたのだった。

 わたしは弁護士など怖くもない。十五歳から六法全書を勉強してきたのだから、争っても勝てる自信があったが、争いは避けたかった。 彼女を業務上横領罪で訴え、法廷の場で裁き、刑務所に送ることになると、これまで育ててきた彼女の子供たちへの影響が気にかかるということを考えると、争いは避けたかった。

  巨額の私的な使い込みを、法廷の場で争うか、黙って株券を差し出すかと、相手の弁護士に言ったところ、彼女から株券が戻ってくることになった。

 十年以上の魔女とのかかわりもこれですべてを終えた。 魔女は箒に乗ってどこかに消え、その後の消息は彼女の四人の子供たちを含め私は全く知らない。

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 人生には、理解しがたい「魔」が潜んでいる。 それは自分の中にもあり、外からもやってくる。

「魔」とは、善事の妨害をなすものと辞書には書かれている。 この時の魔女の振る舞いは、わたしが全力を傾けたものに対する「魔」であり、大いに悔しい思いをしたのだったが、人生を長い目で見れば、結果的には私に休暇を与えることにもつながっていった。 人生は、「点」では見えないものだと思うに至っている。

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  学校の「理念は変えない」「債務全額込みで引き受ける」と言って下さる、謝さんに渡すことになった。 これまでの約七年間以上の血のにじむような努力が一瞬にして泡になる悔しい思いであったが、学校は残り、多くの生徒たちも救えるのだからと、苦しい思いで決心した。

  今後十年間は、創立者として月給をもらう約束も取り交わした。 会計事務所の人には、「人がいいですね、今後十年とは言わず三十年と言えばよかったのに」と言われたが、話の折り合いとしては仕方がなかった。

 最初から名前を書かずに魔女としか書かなかったのは、彼女の名誉のためである。 好事魔多しというけれど、大きな教訓でもあった。

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  引継ぎも順調に終わり、保護者会会長だった方が副理事長となったので、理念の継承も大丈夫だと、安心した。 保護者会会長だった彼の息子さんは入学した生徒の中で最も多く高校入試に失敗していた。四校も不合格になってこの学校に来たのだが、彼は順調に成長し大学入試も決まったこともあって、保護者会会長としてつぶさに学校の運営の在り方、理念のすばらしさを認めておられたので、彼が副理事長となったことも私に安心感を与えてくれた。

  だが職員たちには、ことのいきさつをすべて話すわけにもいかず、突然の経営者引継ぎで大いに迷惑をかけてしまった。

 これまで育てた教師たちにも事情を話せなかったことが何よりもつらかった。 この問題を静かに収めるためには、わたしが身を引くのが最善と考えた。

契約書を取り交わすときに、学校経営に協力することという項目と共に、邪魔をしないことという項目も入っていた。 ところが、教員の中には新しい経営者が、早速生徒を裁き始めている。理念と違ったことをやっていると私のもとへ話を持ってくる。 

  私が学校の近くにいてはややこしくなりそうだったので、どこかへ移転することを考え、九州の別府市三重県などを移転先として候補に選び訪ねたこともあった。