中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(87)私を守ってくれたのはだれなのか

     《新任教師にも優れた人が多くいた》

  この事件の処理が生徒たちにも納得できたのか、その後は他校の生徒と争うことはなくなった。

 一気に生徒数が増え、教師も新任が多く、生徒一人一人に目が行き届かない。

今度の須磨校舎は町のど真ん中にあり、生徒数も多いことから近隣との問題発生は必須だと最初から思っていた。

 一方、楽な面もあった。少人数だった一期生は、全員が同時に行動してしまう恐れがあったが、大人数になると、グループが小さくなるので、一期生を担任した松田先生などは、今年のほうがやりやすいなどという。

 だが、新任教師たちには大変な日々でもあった。 『先生』 と呼ぶ生徒は少なく、教師に向かっておっさん、オバハンと呼ぶ。 これまで勤めていた学校で先生と言われていたのに、生徒たちから

『おっさんも落ちこぼれか。それでこの学校の教師になったのか』

と、迫るように言われて、頭がカーツとなった人もいる。 意識の高い生徒ほど教師不信が身に染みているように思えた。

  だからこそ教師を試すのだ。タバコを吸っている現場を見てみて見ぬふりをした教師は、早速やり玉に挙げられる。それも職員室でやる。

『おっさん、このまえにタバコ吸うとる生徒をみながら、知らんふりしていただろう。それで良いのかいな? おっさんは、逃げているのだろう』

 このように生徒に試されて、去って行った教師が二学期までに五人も現れた。去って行った教師たちは

『こんな生徒ばかり集めて教育ができるわけがない。ここは学校とは違う』と言った。去っていった人たちは、その後の生徒の素晴らしい成長を知れば、なんというのだろうか。去って行った教師たちを凌ぐ人物がどれほど育ったことか。 去っていった彼らは「生徒の可能性」を信じられなかったに違いない。

       《ある教師のエピソード》

  野村先生は、開校二年目に入ってきた新任の先生であり、それまでの教師経験はない。待望の長男が脳性麻痺になり、試練を味わった人でもある。その後に四人の子供を産み育て、社会貢献をしようと、教師を目指した。ノートルダム女子大学の英文科を卒業しているが、高校教員資格がないために、佛教大学に学び、高校教師の資格を得て、わが校に来た。 彼女は明るく美人で、中年を過ぎた年齢だった。

 わが校の教員募集を見て「これだ」と決心したと言っていた。彼女は、その育ちの良さが災いして、やんちゃな生徒が好きになれないようだった。

 彼女は、二年生(一期生)の国語を担当していた。毎日が彼らとの闘いだったように思う。

一期生を理解しようと努力する彼女と、彼女を何とか排除しようとする生徒とは、相容れないものがあった。

一期生たちがある日に私にこう言った

『今年、新しく入ってきた女の先生たちのことやネンけど、みんな上品すぎて気持ち悪いわ。何とかしてえな』

 そういえば、野村先生、国語の在間先生、芳野先生、英語の近藤先生も上品な方だった。

  反抗的な一期生のクラスの授業に行くことが彼女たちにとって大きな苦痛だった。

  彼らは授業には出るのだが、積極的に学ぼうとしないようだった。一学期も終わりに近づいたある日、野村先生がやってきて

『理事長先生、話を聞いてください』

と笑顔で言うのだった。

『どうかしましたか』

『二年生の黒木君がね、わたしに、先生、なんでそんなに一生懸命教えるのや、だれも聞いてへんやないかと、言ってくれたのです』

 野村先生の笑顔の目に涙が浮かんでいました。 次の日から、一期生たちは野村先生の授業に積極的に参加するようになった。

卒業式の日に

『人のために一生懸命働くということを学びました』

という言葉の中には野村先生との思い出がたくさんあったのだろうと思う。

     《小・中学生の不登校問題を考える》

  この年には、中学時代に不登校だったという生徒が20名以上いて新入学生の一割ほどおりました。中学校では、一日も出席しなかった生徒たちや、毎年のように三分の一は登校しなかった生徒も。このような生徒は、出席数が足りないために、高校受験はできないのだった。 そういうことも知らない生徒が多かった。

     《不登校の原因はさまざまであった》

  病的なことが原因の場合は、やはり病院での治療を優先するべきだろうが、多くの場合は、「育てにくいタイプの子供」(L・D)<最近では発達障害という言葉で括っている>の生徒のようにも思える。不登校になり始めた頃の両親や教師の対応のしかたで、その後に大きな差が出ているようにも思える。

 まずは、子供から出ているシグナルを早く見つけることが肝要だろう。子供というのは常にシグナルを親や教師に対して発しているが、そういうことさえ知らない、気付かない人が多すぎるのではないだろうか。

親や教師たちの感性によって、子供のシグナルに気付くひとと、気付かない人がいるようだ。

  子供の不登校に気がついてから学びを始めても遅いのであって、シグナルに気付いた時から学びを始めるべきだとおもう。 私の学校の教師の場合でも、充分な研修を繰り返し行っていても、シグナルに気付かない教師がいて、いつの間にか間違った指導をしている教師が出てくる。充分に理解が出来ていないのだろうと思う。  

 不登校児の扱いについては、絶えず担任から報告を受け、担任に対し正しい指導を怠らないようにすることが、校長の役割の一つだとも思う。

 いずれにしても不登校児になる生徒は、それまでに、育てにくい部分があって親を困らせたとか、親に対して「いい子」でありすぎたかの、どちらかである場合が多いのだと思う。