中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

(13)オランダという国について

昨日の疲れが強く残っていて、今日も腰痛が厳しく、入力するのも腰に響く感じです。

 

さて、九州の臼杵湾に流れ着いたことで運命が大きく転換したウイリアム.アダムスは家康に貿易顧問という役を与えられ、名を三浦按針(三浦は家康から貰った住居のある土地の名であり、按針は水先案内人という意味)と、名を変えただけではない。

彼は日本最初の大型帆船を家康のために作り上げて、徳川政権を支えた。

彼の生涯を日本のために捧げたと言ってもいいでしょう。

英国人だがオランダに雇われていたということは前に書いた。

言い替えれば当時の英国が嫌いだったようでもある。

英国王が、一方的にローマカトリックと縁を切り、国内が騒然としていたからかもと思う。

昨日キャベツを買ったので思い出したが、オランダから1705年辺りに日本に伝わった野菜ではキャベツがある。

その当時は、結球するものではなくケールのように真っ直ぐ立った茎の双方に葉が出るもののようだ。

結球種が出来たのは、もっとあとだった。

現在のようなキャベツは、明治の初めの頃にヨーロッパのどこからか伝わり、横浜や神戸の外国人居留地近郊で作られるようになったものらしい。

コロッケという食べ物がオランダ、ベルギーを通じて1872年に日本に伝わっていたという記録が、「西欧料理指南」という本に載っているらしい。

次回でこの項を終わりといたします。