人生の最終章に何をどう感じながら生きているのだろうか
2月28日に書いた(1)の中で、「情けない」という言葉しか
今は書けない‥と書きました。 あれから1週間たった今も、日に
何度も、情けないな~とか、悔しいな~とか口走っています。
思うように体が動かせない悔しさから出る言葉です。
もし認知症になってたとすれば、悔しさなど感じないのかもしれ
ませんね。しかし、認知症の場合は、本人は辛くないでしょうが、
周囲の人たちは大変でしょう。「あんた誰?」なんて言われたら
介護をしている人は悲しでしょうね。人生の最終章の体調によって
人はいろいろ感じ方が違ってくることでしょう。
私は悔しいな~と、日になんども言っていますが、それは、やはり
何かの役に立ちたいとおもいながら人生を送ってきたからでもあり
ます。私の人生の前半は多くの人たちによって支えられ育てられて
来たと思っています。だからこそ、後半の人生は人の役に立ちたいと
願いながらの人生でした。 いまは、そばにいる妻を支えることも
できないことが「情けない」のです。 しかし、人生そのものを
振り返るとき幸せだったなと思っています。 昨夜、就寝する前に、
妻にズボンを脱がせてもらった。3日前にうつむいただけで、左
胸骨がボキンと音がして折れたからです。 でも妻は、ず~っと
楽しい人生だったのだからいいじゃない、、、あなたはいつも
「人生はイーブンだ」と言っていたじゃない。 だからいまは
わたしもあなたも辛いほうを味わっているのよ・・と。
そうだね・・。人生はイーブンだ!! 何度も山あり谷ありしながら
いまがある。じゃあ‥この次は???と期待??している。