中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

人を育てるということ(5)発達障害について

 前回書いたのが10月11日でした。神戸・東須磨小学校の

教師同士のいじめなどあまりにも低次元なニュースが続き、

書く気まで失っていました。

一人の人間が育っていく過程には、さまざまな要素が絡み合っていると考えます。「ヒト」が誕生するまでにも、多くの戦いや、自然環境にも翻弄されながらだったのでしょう。黒人、黄色人、白人など住む環境によって色形まで異なる人種になりました。

 日本人の場合は、多くはモンゴロイド系であり、南方系などで形成されているのでしょう。時々、純潔主義のように日本人は昔から日本人・・と思っている無知な人がいますが、歴史的に遺伝子的にみてもそんなはずがないことは明らかです。

 昨日「即位の儀」が執り行われ内外に令和天皇の即位を示したのですが、う~~んと古いことを言うと、出雲族大国主命)と降臨族(神武天皇)の争いがあって降臨族が政権を奪うということがあって今日に至っている。ものすごくすっ飛ばした書き方だが、関心のある方はお調べください。

 なにを言いたいのか・・一人の人間には、さまざまな遺伝子が受け継がれていて、同一ではないということを言いたいのです。

人はだれでも同じだという思い込みがあるところに「問題」が起こります。 最近になって発達障害という言葉がやたらと出てきます。なんでもかんでも「障害」をつけるのが好きな国民性でしょうか。 私が「教育の原点を求めて」(廃刊)を書いた30年ほど前、その中でLDについて書きました。LDは学習障害と言われています。その本の中で、大変失礼なことに、黒柳徹子さんはLDだったと思う・・と書きました。そして、その本を黒柳さんに贈呈してしまいました。何年か経ってから、黒柳さんが「私はLDだったと思うわよ」と番組内で語っておられるのを聴いて、あっ!と思ってしまいました。 LDの子供は学校生活で異常な行動をしますが、それは傷害児ということではないのです。年齢を

重ねると素晴らしい個性が花開くのですが、黒柳徹子さんがその例だとして書いたのでした。

 しかし、現実的に考えると、黒柳徹子さんの子供のころのような行動を今の小学校でやったとして、どうなることでしょうか。教師は戸惑い、叱り、親に文句を言い、親は子供叱るでしょう。

黒柳さんは、お母さんに恵まれ、良い学校に転校し、良い先生たちに出会ったので、その後の彼女の人生が生まれたのだと思うのです。

 だがら私は高校の「ともえ学園」版を作ろうとしたのです。新幹線にのっているようにどんどん飛ばせる能力をもったこどもたち。特急タイプの子供たち。急行タイプの子供たち。快速タイプの子供たち。各駅停車タイプの子供たち。このような子供たちが文科省の定めるカリキュラムに沿って、同じ内容のものを、同じスピードで教えられるということを、想像してみてください。あなたは、どのタイプでしたか? 各駅停車タイプの子供は、ゆっくりと成長しているのです。 大げさに言えば「大器晩成型」かもしれません。でも、現状のシステムの中では、どんくさいアホとされる可能性が濃厚です。 これは学校の成績だけではありません。運動能力も個人差があるものです。性格はが一人一人がすべて違います。それが人なのです。ここから考えはじめなければ何も見えてこないのです。 最近話題となっている「発達障害」は、どこか違和感があります。分かっていっているの?とわたしは思っているのです。もっと個性を重視し、のびやかに育てていただきたいのです。型にはめないで育ててしいのです。 また書きますね。