中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

男の厄年とは?

 男の厄年を気にしたことがありますか? 多分・・誰でもあると

思うのです。なぜならば迷信とかと笑って言ってしまうには気になる

ことが多すぎるからでしょう。だれもが厄年の辺りになると体調に

異変が起こるから、ひょっとして、これは厄年のせなのか???などと

思ってしまうのかもしれません。

 ところが多くの人が思っている男の厄年で気にしているのは42歳なの

ではないでしょうか。 ところが、男の厄年の最後は25歳であって、

42歳は、よくぞ42歳まで生きたという祝いだったようなのです。

そういえば江戸時代では40歳を過ぎれば隠居して家督相続などをして

いたようですね。 42歳どころか私は今84歳。あと半月で85歳。思っても

いなかった長寿にわれながら驚き慄いています。やはり医療に支えられて

いるのでしょうし、食生活が大昔とは、大違いだからでしょう。それと衛生に

関する考え方が普及したこともあるのでしょう。

わたしは、子供のころはひどいアレルギーで我ながら可哀そうな子・・だった

のですが、昔はアレルギーなど知る人がいなかったので、全身にひどい皮膚炎

があり、それが化膿して肌着から膿が染み出すほどなのに・・誰もかまっても

くれなかった。 赤腹(いもり)を焼いて食べればよいなどと祖父は言っては

いたが・・そこまでだった。

 小学校ではそのためにいじめにあった。その原因を作ったのは教師だった。

体育の時間を何度も休ませてくれと言う私に、ほかの生徒たちの前で、肌着を

脱がせてひどい皮膚炎の症状を露出させたのだった。 その翌日から、だれいう

となく「バイちゃん」というあだ名がついた。このあだ名は私を大きく傷つけた。

80歳の時に再開した同級生からも「あのばいちゃん?」と言われた時には驚いた。

悪意はないが、それが世の中っていうもんだ。 ズボンの上にまで膿が染み出す

と、ズボンが皮膚にくっついてしまう。そして皮膚がめくれあがる。中学生に

なったころから、このような症状は減っていったが、皮膚に残された傷あとは

20歳を超えても残っていて、完全に消えたのは30歳を過ぎてからだった。

右耳が真珠腫のために聞こえなくなっていたし、いろいろ大変な少年期だったが、

まさか・・まさか・・ここまで生きるとは・・思ってもいなかった。

神様が、少年期の苦しみを補ってくださっているのだろうか? それにしては、

いまも満身創痍なのはなぜなのだ?? でも、見た目には「とても元気そう」

らしいから、まあいいか・・と思っている。いじめにも負けず(私はそのために

強くなったと思っている)アレルギー症状の数々にも負けず、よくぞ生きたと

思っている。