人生と言うのは、終わってみないと分からない。
昔から「棺桶に入るまで分からないものだ」と言われてきた。
親や本人が望んだ学校へ入学できたとしても、それが自分の
人生の決め事にはならないし、望まぬ学校へ進学しても人生が
開かれていく場合もある。何もかもが、自分の思うようには
ならないものだと最初に気がつくのは就職の時かもしれない。
就職が望みどおりであっても、そのまま順調に人生を歩める
人100人に一人もないのではないだろうか。それが人生という
ものだとおもう。
では、人生は流れに身を任せるほかはないのだろうか。これは
人によって選択の仕方が違うようだ。私の場合は、流れに身を任
せるようなことは一度もなかったように思うが、それはそうせざ
るを得なかったという意味では、流されていたのかもしれない。
いえることは忍耐と努力だけは人一倍だったと言えるかもしれない。
これは、自分で言っているのではなく、妻からみた私の人間像だそうだ。
一つだけ自慢(自慢してはいけないかも)できるのは、50歳からは
自分のためにいきるというより、誰かの役に立つ生き方をしたいと実行
してきたことだろう。 どこまでやれたのか自信はないが、そのように
努力してきたことだけは確かだ。 写真ブックを見ながら過去の自分を
みる機会もあるが、過ぎ去ったことは華やかであっても、過去は過去だと
いうことであり、今の自分はどうなのだ?と、問いかけている。