中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

高校野球の歴史とわたし

 高校野球とわたしは切っても切れないほどの思い出がある。
でも・・選手として出場したというわけでもなく、ただただ高校野球フアンと
いうだけのことなのだが。
 いま、甲子園で開催されているのは正式には全国高校野球選手権大会
という。今年は100回記念大会でもある。
 100回ということで・・じゃあ・・83歳の私はこれまでどれほど観てきた
のか?? と考えてみた。
 高校野球となったのは第30回大会からで、それまでは旧制の中学野球
大会だった。 最初から甲子園球場だったのではなく、1915年から翌年の
1916年までは豊中(大阪)球場だった。
1917年から1923年までは甲子園に近くの鳴尾球場で行われた。
鳴尾球場は鳴尾競馬場のなかにあり、戦中は飛行場としても使われ、
1944年当時に徴兵されて鳴尾飛行場に滞在していた父のもとで二晩
過ごした思い出が強烈に残っている。最後の出陣に離陸する飛行機を
見送る兵士たちの印象が忘れられない。
 1924年から甲子園球場に移ったが、1958年と1963年はと近くの阪急
西宮球場を併用していた。阪急ブレーブスの本拠地だった球場だ。
 長い歴史の中では野球どころではなかった年もある。
1918年は「米騒動」が起こり中止となったが、第4回という開催数字はその
まま残された。

 1941年の日華事変(日本と中国の戦争)で中止となるが開催数字の

第27回という記録は残っている。
 戦争は、そのごに太平洋戦争(大東亜戦争が政府の正式名称)へと突入し
1945年の終戦を迎えるまで開催は中止された。
第30回大会から、新制高校による「全国高校野球選手権大会となった。
 だから・・現在の高校野球大会というのは・・すべて・・ラジオで聞くか、TV
で観たいたということになる。 厳しい人生で、余裕などない生活だったが、
プロ野球は聞かない、見ない日もあっても高校野球をは必ず聴くか観るか
してきた・・・な~~と、長い自分の歴史と重ね合わせながら思い出している。
 今年もエアコンの効いた部屋で、猛暑の甲子園に思いを馳せながら選手
たちに声援を送っている。 どちらが勝っても負けても、一生懸命でプレー
している姿を見ているだけで気持ち良い。 若さを御裾分けしていただいて
いる感じでもある。