82年間も生きていると、書きたいことが山ほどある。
ファッションなどは、もっと詳しく書きたいところだけれど、
読んでくださるかどうか・・と思うので端折ってしまいました。
さて、今日は車の道路のことを書いておこう。
いま50歳以下の人たちは、「当たり前」だと思っているかも
しれないことが、50年前ともなると、いまとは違うことがある。
80年も前だと思って違ってくる。
私が初めて自動車の運転席に座ったのは79年前だったように思う。
父が大阪の運送会社に勤めていて、ニッサンのトラックに乗って
いた、と言っても助手席で運転手ではない。
家の裏が会社だったので、何もかも見ていていた。
ある日、勝手に運転台に乗ってクラックションを鳴らして叱られた
ことがある。その時が自動車の運転席に座った最初の時だった。
当時の大阪には、すでに梅田ー大国町ー天王寺 大国町ー花園
が昭和8年(1933年)に開通していたし、大阪ガスから市内各地に
ガス配管がされえいて、かまどが要らなくなっていた。
多分、東京に次いで近代化が進んでいた。
それでも、私の3歳のころ(1937年)は、運送会社では、自動車
よりも馬車の方が圧倒的に多かったのであった。
運送会社には10頭以上の馬がいたが、トラックは1台だった。
その事情は東京でもあまり違わないようだ。
(続く)