先ほど、国民学校の同窓会のことを書いた。
ところで国民学校なんて言葉を知っている人も
少なくなっていると思う。
私が入学する寸前に文部省によって公立の小学校は
国民学校に名称変更になった。
私学の小学部はそのままだったようだ。
そして昭和22年3月に卒業した直後に、全国の国民学校は
元の小学校へと名称が戻されることになった。
だから、入学時から卒業時までの6年間だけ使われたもの
だった。
同じく、昭和22年4月からは新制中学校へ入学したが、新制
中学に1年生から入学したのは私たちが最初であった。
高等科からの2,3年がいたので、私たちは第3期生となる。
このように、戦争の影響をまともに受けての9年間だった。
教科書も前年度とすっかり違うものだったし、戦後は墨で塗り
つぶしたりしなければならなかった。
英語をまともに教えることができない教師が多かった。
その点では、1年生だけではあったが私は素晴らしい英語
教師に巡り合うことができたのがラッキーだった。
この先生は、翌年に東京の貿易会社へ行ったが、10年後
東京で再会できた。同窓会の機会に恩師たちを思い出して
いるが、特に印象深い、お世話になった教師が7人いることを
改めて感じた。