中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

NHKスペ「東京が戦場になった日」15日(土)

 今週の土曜日・午後8時からNHKスペシャル「東京が戦場になった日」が
 放送される。タイトルから考えられるのは、東京大空襲前後を中心とした
 ドラマだと思う。
 これは、戦争を知らない世代の人たちにぜひ観ていただきたいと思う。
 阪神淡路大震災の場合は、今年の1・17まで19年間、震災の犠牲者の
 慰霊の催しが盛大に催されてきた。
 東日本大震災の場合も、今後長らく慰霊の催しが続くことと思う。
 原爆被害をうけた広島と長崎でも毎年慰霊の集いが続けられている。
 それなのに、東京や大阪などなど空襲被害を受けた場所で、盛大な慰霊の
 集いが開かれたことはない。
 大震災の場合は、国からの支援や自治体からの支援もある。
 しかし、東京や大阪などの大空襲の被害者には、そのような支援は1円たりとも
 なかった。
 国民が飢えに苦しむ時代だったから、被害者は耐えに耐えぬいて、自ら復興
 への道を歩んだものだ。
 あの時代、そのような辛苦に耐えながら、この国をささえ、やがては経済大国
 と言われるまでに国を成長させた。
 しかし、どうしても納得できないことは、どうして大空襲の犠牲者の場合は、
 忘れ去られてしまう運命にあるのかということだ。
  東京大空襲の場合、死者だけで83,793人とされているが、当時の混乱で
 正確なものではない。10万人以上が亡くなったとされている。負傷者の数は
 数えきれない。被災家屋数は27万戸を超える。3月10日の空襲だけで、B29
 爆撃機は延べ325機が投入された。
 3月13日の大阪大空襲では、274機のB29爆撃機が投入され、死者は約4000人、
 負傷者多数、被災家屋数136、107戸と記載されている。
 この大空襲の夜、私は小学4年生だった。断続的に朝まで繰り返される焼夷弾投下
 と、燃え盛る家屋の火や煙が1万メートル以上にまで及んだというが、空一面が
 真っ赤に燃えてたものだった。
 でも、3・10や3・13として慰霊の集いがなぜ行われないのか。
 あの悲惨な日が、どうして消し去られてしまうのか。
 空襲を受けた後の、人々の生活はどれほど悲惨だったかを、もっと語り継がなければ
 ならないと思う。そういう中から、立ち上がってきた人たちに、若い人は敬意を払うべき
 今は80歳を超える高齢者たちが、頑張ってこの日本をここまで作り上げてきた。
 その事実をしっかりと見つめなおしてほしいと思うし、大空襲の犠牲者を忘れないで
 ほしい。焼け跡で、住民が、焼け残った木材を積み上げ、その上にトタンを並べ、亡くなった
 人たちを山積みして火葬しているのを目撃した私は、一生その日を忘れない。
 名古屋 、神戸、福岡、横浜など多くの都市や地域でも空襲による犠牲者が多いことも
 忘れないでいただきたい。
 自然による災害は弔いを受けらる氏支援も受けられる。戦争の場合、軍隊にいた
 ものには年金も出る。だが軍属にいた人たちには年金もない。
 戦争のとばっちりを受けた犠牲者には、補償もなければ、弔いさえしてもらえない
 という事実も知っておこう。