中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

3年前の今日・何も知らないでいた。

 3年前の今日、私と妻は友人の家にいた。
ワイワイガヤガヤと楽しい会話を交わしていた。
何も知らないで楽しい時間を過ごしていた。
あとで考えると、あの時間に・・風鈴がチリンチリンと鳴ったので、
「どうして風鈴が鳴るんだろう?」って話し合ったことを思い出す。
 知らなかったからといって何も悪いことではないのに、なぜか
罪悪感を持ってしまう。
 夕方になって、TVで初めて知った時、映像を見たとき、嘘だと思った。
現実のことだとは思えなかったので、すぐスイッチを切ってしまったもの
だった。
 わが家に帰り、テレビをつけ、それが現実に起こったことだと
知った時には唖然とした。朝までTVを観ながら、遭難した人たちを
案じたが、あの風鈴が鳴った時に・・・・と思うと心が痛む
 私は神戸の大地震も日本にいなかったので、経験がない。
地震の経験と言えば南海地震の時に、もう家が倒れると思うほど
家が傾いたことだし、木造家屋がもとの姿に立ち返る瞬間もみた。
通学路にあった家の数件が倒れ、何人かが亡くなった。
地震が恐ろしいと思ったのはこれが最初で最後だった。
 単なるラッキーなのだが、神戸に住んでいて、あの地震を知らない
というだけで、よそ者扱いのような感じがする。
 戦争という恐ろしい体験。あの大空襲の直撃を受けた経験を持って
いる人とそうでない人の違いも同じようなものかもしれない。
 私が経験した大阪大空襲は、阪神淡路大震災や、東日本大震災
よりも多くの犠牲者を出したすさまじいものだった。
 死体を住民がトタンの上に山と積んで焼かねばならない悲惨なものだった。
大都会の住宅地が遠くまで見渡せるほど、一面が焼け野原になった。
NHKの朝ドラ「ごちそうさん」でやっているような生易しいものではなかった。
 そういう経験は持っているが、大震災の経験を共有できていないことに
どうして罪悪感を抱いてしまうのか・・・われながら戸惑っている。