中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

おじいちゃんの(貴重な)戦争体験(5)

 思い出しながら書いているので少しばかり先に進みすぎてしまいました。
私が小学校2年生の時に叔父(父の5番目の弟)が志願して海軍に入隊しました。
 軍隊に入るのは徴兵と志願とがあります。
当時は徴兵令というのがあって、男子の国民はよほどのことがない限り
20歳になると徴兵されていました。(韓国では、今でもそうですよ)
20歳を待たずに志願して入隊する若者もたくさんいました。
陸軍に志願する若者は少なかったようですが、海軍へは多くの若者たちが
憧れて志願していました。
 どうして志願してまで兵隊になるの?と思う人がいるでしょうが、当時の
教育がそうさせていたといえるでしょう。教育とは恐ろしい影響力を持って
いるのです。早く兵隊さんになってお国のために尽くしたいと多くの少年たちが
思っていたものです。
 「あなたは何になりたいの?」と問われると「兵隊さん!!」と大声て答えて
いたものでした。ですから18歳になるのを待って「志願兵」になる若者が多かった
のです。
 私の叔父もそうでした。海軍に志願兵として入隊しました。実家から海岸まで
出征を祝っての行列がにぎやかに進んでいきました。その時にみんなと大声で
歌った「海ゆかば」など海軍の軍歌が懐かしく思い出されます。
 素晴らしい叔父でした。兄弟の中でも優秀だと誰もが認めちました。最初は
呉の海軍基地に、半年後には抜擢されて横須賀の砲術学校に進んでいました。
 その叔父は、戦後すぐ「フイリッピン海海戦で戦死した」と連絡がありました。
 もう一人の叔父(父の4番目の弟)は、終戦直前に「ビルマ前線の戦いで戦死」と
広報がきました。ですから、私のおばあさんは、かわいいわが子を相次いで二人
戦死させたことになるのです。それだけでは済まなかったのですが…。