中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

勝つために、何でもありのスポーツ

 昨日「野球とベースボールの違い」と出して書いた続きです。
甲子園球場での高校野球の開会式によくみられる風景だが、選手宣誓の
なかで「スポーツマンシップにのっとり正々堂々と戦います」と誓うのが慣わし
となっている。
 
 ウィキペデアによればスポーツマンシップとは「スポーツマンシップは、
スポーツのルールを遵守してゲーム(競技)を行っていくうえでの根本的
な姿勢をいうものである。広義では、スポーツを行う上での品性ないし
マナーということができるかもしれない。これらは、スポーツを実際に行
選手に限らず、選手を指導するコーチや監督、またスポーツに応援
いう形で間接的に関係するファンをも含めて求められる傾向がある
。一種の美学としてもみなされる。
スポーツマンシップは、スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレー
を尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間
としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表される。
また様式化された礼節の発揮も、マナーという面から重視される傾向が
あり、選手同士が試合の前や後に挨拶を交わすのも、このスポーツマン
シップの延長で見られる風習である。」
 と、書かれている。
 
 ところが、さまざまなスポーツの中で、このような美学が通用しているかと
言えば怪しい。それでは、スポーツマンシップと言う言葉は「たてまえ」に
すぎないのだろうか。
 55年以上も前になるが、妻が高校生だった頃、バレー(当時は9人制)
選手としてインターハイに出場したらしい。らしいというのは、私はみていない
からだが、確かにスポーツ大好き人間である。
 彼女が高校生の時の監督が「どんな汚い手を使っても勝たねばならん。
勝つことこそ一番大事なことだ」と、日々言われ続けたという。
 その当時に、そんなことを言う人がいたことの方が私には不思議なのだが、
その監督は、真理を言っていたのかもしれない。
 もちろん、バレーの場合は、相手との肉体的接触もないし、付き指などの
負傷か、転んで骨折する程度までだろう。その点サッカーなどは、足を引っ掛け
腕を掴んで倒し、審判の見えないところで、汚い違反を繰り返している。
 あれほど相手の選手に敬意を払わない違反を頻発していてスポーツマン
シップなどとは言えまい。
 野球の場合も、2塁とかホームに滑り込む時に、わざと足を上げて相手選手
を蹴っ飛ばす。けがをしない方が不思議なぐらいだ。それがスポーツという
のなら、スポーツは喧嘩と紙一重だと割り切らなければならない。
 この傾向がどんどんエスカレートしてゆくと、観ている方も愉快ではない。
本来のスポーツの目的はどこに行ったのかと嘆かわしい。しかし、スポーツを
ここまで人類に押し広げた人がいる。その人は、人々がスポーツに夢中に
なればなるほど「あほ」になり、政治にも無関心になることを望んでいたそうだ。
 そう言う狙いが、本当にあったとすれば、それこそ恐ろしい。