中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(144)教師の仮面

(144)
教師の仮面
 
例の兵庫県立高塚高校での校門圧死事件の後、いろんなテレビ番組で
教育問題が取り上げられていました。私も某テレビ局で討議に参加し
たことがありました。
あるテレビ放送局が夜を徹して朝までこの問題の討論会を開いた時の
ことを書きておきたいと思います。その番組には、いろんな分野の方
が出演しておられましたが、どこかの高校の教諭何名かも出演してお
られました。
朝方になって番組もそろそろまとめに入る頃、一人の教諭が次のよう
に発言しました。
「要は、教師は教師を演じ、生徒は生徒を演じることが大切なんです」
その番組の出演者の多くは、このきれいな響きの発言にうなずいてい
ました。司会者が、
「もう少し具体的におっしゃっていただけませんか。教師を演じる、
生徒を演じるというのはどのようなことですか」
その教諭は答えました。
「学校は、教師と生徒との上下関係が大切なのです。それが崩れると
いろんな問題が発生するようになります。ですから、教師は教師らしく
権威を演じ、生徒は生徒らしく従順を演じればいいのです」
私は、この発言を聞いてがっかりしました。この教諭は昨夜からの討
論会でいい話をしていたのです。しかし、あれは何だったのでしょう。
この権威発言で、この教諭の仮面がはがされたように思います。教師
の権威は演じるものではないのです。そのような権威の下で教育をし
ようとするから生徒を裁いてしまうのです。分かったようなことを
言っていた人が、本当はよく分かっていなかったという例はたくさん
あります。
その仮面の下にあるものを隠したままで、表面的に体制や時流に合わ
せているだけの人は、苦難や危険にさらされた時、あるいは、身構え
なくてもよい立場になった時、仮面の下を露呈してしまうものです。
教師は日々、自己を変革し高めていかなければなりません。生徒から
学ぶ姿勢も忘れてはいけないと思います。しかし、教師のなかには
「生徒から学ぶことなんてない」と公言する人さえおりますし、
「俺は、本を読むことが大嫌いだ」とはっきり言っている人もい
ます。林竹二先生もおっしゃっているように、本は、付け焼き刃的
なハウツーのものとして読むのではなく、多くの本から学び取った
ものは、その人の肉となり血となっていくものなのです。本も読ま
ないような人が教師になってもらっては困るのです。