中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(137)子育て編

(137)「しつけ」その7 子育て編
(過保護)
 
 過保護といえば、今の親のほとんどが過保護といえるかもしれま
せん。
入試面接の時、お母さんに、「雨の日、子どもが学校へ行く時に、
『傘を持っていきなさい』といいますか?」とたずねますと、ほぼ
全員のお母さんは、
「はい、傘を持っていくように言います」
ということでした。
「これからは、言わないようにしてください」
「どうして、傘を持っていきなさいと言ってはいけないんですか」
「自分で考えさせるのです。そうしないと、お母さんが傘を持って
いきなさいといった日に雨が降らなかったら、子どもは怒るでしょう?」
「そう、すごい剣幕で怒ります」
「自分で雨か天気かを判断させなきゃ、何ごとでも人のせいにする
ようになりますよ」
「では、黙っていて、子どもの方から『雨降るか』って聞かれた場合
には、天気予報を聞いてごらんと言えばいいんですか」
「天気予報を聞いてごらんというのも答えを教えているようなもの
でしょう。
 答えを教えないようにしないといけないのです。答えを教えるという
ことは過保護なのです」
「お母さんは、子どもが他の町へ行く、例えば、神戸から京都の親戚へ
いくというような場合には、地図を書いてやるのですかという私の問
いに、ほとんどのお母さんは、
「どの電車に乗れば早いか遅いか、高いか安いか、どの出口が近いか、
どの出口から出て、どこを曲がって、どのようにいくかを教えます」
「中学三年生まで、そうしていたのですか?」
「ずっとそうです。この学校へ願書を出しにくる時もそうでした」
「今日から自分で地図や、時刻表を見て、自分で行動するように仕向
けて下さい。親が教えた場合、目的地へ早く着けるかもしれません。
しかし、次に違うところへ行かなければならない場合は、また教えて
もらわないと行けないでしょう。自分で調べて行った場合は、調べ方
を覚え、分からないときは人にたずねますから、たずね方や、お礼を
言うマナーを覚えます。丁寧に聞かないと教えてもらえないのですから、
自然と言葉遣いを覚えるものです。迷いながらたずねていく方法を覚え
ますと、もうどこへでも行けるようになるんです。自分の責任でやらせ
ないと、何でも親のせいにしますよ」
私は、小学一年生の時、淡路島から大阪の親類へ一人で行かされたこと
がありますが、「おまえの目と口と耳と足があったら、世界中どこへで
も行ける。分からなかったら人にたずねなさい」と教えられたのです。
この一言が、それ以後の私にどれほどの力を与えてくれたことでしょ
うか。
 当時の淡路島の街から大阪の親戚の家にたどり着くまでには、何度も
乗り換えがありました。
 テンマ船に乗り、ぎっちらこ、ぎっちらこと船頭が漕いで沖合に
でて、遠くからやってくる本船を待ちます。お天気の悪い日などは
大変です。神戸の中突堤に着き、阪神電車か当時の国鉄に乗って
大阪駅まで。大阪駅前は、路上に何十もの市電用プラットホームが
あり、目的地に行くためには、何度も乗り換えする必要があった。
小学校1年生の子供にとって、それは大冒険のようなものだったが、
その経験が、その後どれだけ役に立ったか計り知れない。