(137)「しつけ」その7 子育て編
(過保護)
過保護といえば、今の親のほとんどが過保護といえるかもしれま
せん。
入試面接の時、お母さんに、「雨の日、子どもが学校へ行く時に、
『傘を持っていきなさい』といいますか?」とたずねますと、ほぼ
全員のお母さんは、
「はい、傘を持っていくように言います」
ということでした。
「これからは、言わないようにしてください」
「どうして、傘を持っていきなさいと言ってはいけないんですか」
「自分で考えさせるのです。そうしないと、お母さんが傘を持って
いきなさいといった日に雨が降らなかったら、子どもは怒るでしょう?」
「そう、すごい剣幕で怒ります」
「自分で雨か天気かを判断させなきゃ、何ごとでも人のせいにする
ようになりますよ」
「では、黙っていて、子どもの方から『雨降るか』って聞かれた場合
には、天気予報を聞いてごらんと言えばいいんですか」
「天気予報を聞いてごらんというのも答えを教えているようなもの
でしょう。
答えを教えないようにしないといけないのです。答えを教えるという
ことは過保護なのです」
* * *
「お母さんは、子どもが他の町へ行く、例えば、神戸から京都の親戚へ
いくというような場合には、地図を書いてやるのですかという私の問
いに、ほとんどのお母さんは、
「どの電車に乗れば早いか遅いか、高いか安いか、どの出口が近いか、
どの出口から出て、どこを曲がって、どのようにいくかを教えます」
「中学三年生まで、そうしていたのですか?」
「ずっとそうです。この学校へ願書を出しにくる時もそうでした」
「今日から自分で地図や、時刻表を見て、自分で行動するように仕向
けて下さい。親が教えた場合、目的地へ早く着けるかもしれません。
しかし、次に違うところへ行かなければならない場合は、また教えて
もらわないと行けないでしょう。自分で調べて行った場合は、調べ方
を覚え、分からないときは人にたずねますから、たずね方や、お礼を
言うマナーを覚えます。丁寧に聞かないと教えてもらえないのですから、
自然と言葉遣いを覚えるものです。迷いながらたずねていく方法を覚え
ますと、もうどこへでも行けるようになるんです。自分の責任でやらせ
ないと、何でも親のせいにしますよ」
私は、小学一年生の時、淡路島から大阪の親類へ一人で行かされたこと
がありますが、「おまえの目と口と耳と足があったら、世界中どこへで
も行ける。分からなかったら人にたずねなさい」と教えられたのです。
この一言が、それ以後の私にどれほどの力を与えてくれたことでしょ
うか。
当時の淡路島の街から大阪の親戚の家にたどり着くまでには、何度も
乗り換えがありました。
テンマ船に乗り、ぎっちらこ、ぎっちらこと船頭が漕いで沖合に
でて、遠くからやってくる本船を待ちます。お天気の悪い日などは
あり、目的地に行くためには、何度も乗り換えする必要があった。
小学校1年生の子供にとって、それは大冒険のようなものだったが、
その経験が、その後どれだけ役に立ったか計り知れない。