中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(122)

 (122)
(中学校での) 不登校児たち
 
私の学校には、中学校時代に登校拒否をしていたという生徒たちが
毎年二、三十名ほど入学してきます。中学時代、一日も出席できな
かったという生徒から、毎年三分の一は休んでいたという生徒まで
さまざまな生徒がいます。この不登校の原因は多様で、いちがいに
決めつけることはできません。病的なことが原因の場合は、やはり
病院で治療すべきでしょう。しかし、不登校のほとんどは、先に触
れました「育てにくいタイプの子供」(L・D)から出てきます。
不登校児になり始めたころの対応の仕方によって、その後に大きな
差が出てきますが、親や生生が疑い始めるもっと以前に、子どもか
ら出ているシグナルを見つけ、正しい対応をすることが最も大切な
ことなのです。不登校児を扱うことは、親にとっても学校の先生に
とっても、なかなか難しいことです。
ほとんどは、重症になってから対応の仕方についての学習を始めて
いるようで、事態の改善になっていない場合が多いのです。
私の学校の教師の場合でも、充分な研修を繰り返しやっていても、
いつの間にか間違った指導をしている教師が出てきます。不登校
の扱いについては、絶えず担任から報告を受け、担任に対し正しい
指導を怠らないようにすることが、校長の役割の一つだとも思い
ます。教師は、「生徒は学校に出てくるもの」よか、「単位不足に
なっては大変」とかという考えが優先してしまって、生徒個人につ
いて考えるということがおろそかになりやすいものです。
いずれにしても不登校児になる生徒は、それまでにも育てにくい部分
があって親を困らせたか、親に対して「いい子」でありすぎたかの、
どちらかの子どもが多いのではないかと思います。
 
宮口君と三田君
宮口君と三田君はともに不登校児の生徒でした。四月に入学して間も
なく二人は親しくなりました。
この二人はまったくタイプが違っていました。宮口君はおとなしい生
徒です。三田君は普段はおとなしいのですが、すぐカッとなりやすく、
乱暴な言動が目立つ生徒でした。彼はテンカンの症状を持ち、そのコ
ンプレックスが乱暴な言動となって現れていたようです。
この二人は、友人になることができたために、休まず学校に来るよう
になっていました。しかし、三田君はクラスメートとケンカすること
が多く、特に、口を極めて言う悪口雑言がクラス多くの生徒から嫌
われ、彼のいない間に、彼の机と椅子が外へ放り出されることもしば
しばありました。
六月のある日のことでした。先生から指名され、黒板に答えを書いて
席にもどる生徒の足に、三田君が自分の足をひっかけて、その生徒を
倒したのです。にらみ合いとなり、それが休み時間になるやいなや
ケンカとなり、もみ合いになってしまいました。その時、宮口君が
三田君の後から、「三田君、ケンカはよせよ」
と言って抱きかかえたのですが、三田君は、「おまえは関係ない。
ドケ!」と言って、抱きかかえている宮口君を振りほどこうと、右腕
を強く後ろに振りました。その時、三田君の右ひじが宮口君の右目の
下に激しく当たったのです。宮口君は、「痛い!」と言って、その場
にうずくまってしまいました。
本当に、一瞬の出来事だったのです。宮口君の右目の下の骨が内側に
向かって折れ、その折れた骨に眼球がひっかかり、眼球が動かなくな
ってしまったのです。
開校以来、最も大きな事故でした。サッカーボールをけりそこね、
後頭部をグランドで強打して救急車で運ばれたり、ケンカで顔面や
頭部にケガをして、念のためにCT スキャンで検査していただいたり
したこともありますし、小さなケンカは、入学後半年くらいは頻繁
に起こります。
入学してくる生徒は、平均して三〜五年ほど成長の遅れがあり、それ
だけ幼い面を持っています。全体の二割ほどのやんちゃな生徒は比較
的意識が高いのですが、なかには善意の判断力が弱い生徒や、危険予
知能力の低い生徒も含まれています。そのうえ、彼らには、「誰が一
番ケンカが強いのか」ということが、ことのほかに興味があるのです。
ケンカの強いことでしか中学校における自分の立場を誇示できなかった
生徒たちは、私の学校に入ってからも力を誇示しようとします。
それぞれが己を知り、己の立場に気づくまでに、どうしても最低六ヵ月
から一年は必要です。入学してすぐに争いが多く起こる学年は、比較的
長くこの現象が続きます。にらみ合いやこぜりあいのなかで、グループ
ができていったり、強がりや張ったりの度が過ぎて、子どもの輪から
はみ出していく生徒もいます。「子どもの世界」には、教師にも理解
できないほど厳しいものがあり、威勢がいいだけでは決してトップに
なれないし、腕力だけで他の生徒を従わせることもできないようです。
三田君は、やんちゃなタイプの生徒ではなく、友人のできにくい子で、
気ままで激しいタイプでした。
ですから中学校時代もほとんど友人ができず、ますます不登校の傾向
を強めていったようです。その三田君がクラスメートとしばしばトラ
ブルを起こしていることを、宮口君は心配していたようです。優しい
宮口君は、三田君がクラスで独立していくことをなんとか防ぎたかっ
たようでした。三田君がケンカを始めた瞬間、隣の席にいた宮口君が
「やめろ!」と後ろから抱きかかえてのですが、中腰だったので、振り
払おうとしたとき三田君のひじ鉄が目の下に当たってしまったのです。
三日経っても宮口君の右眼球は動かず、手術も難しい箇所なので、見合
わせるということでした。私は、彼の両親に心から詫びました。いくら
瞬間的な出来事といっても、学校内の事故です。詫びてすむようなや
さしい事柄でもありません。しかし、よく考えてみると、私の学校で
生徒同士のケンカを完全に防ぐことは無理なことですし、ケンカが起
こる以上、どんな事故が発生するかもしれません。ケンカや事故が防
げないとすると、学校の存続さえ難しいことになりかねません。