中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

旅の思い出(11)JANEWS紙連載中

載「旅の思い出あれこれ」 
JA NEWS紙2011年12月号
 
旅の想い出(11
 パリ(フランス)(その2
 
 修学旅行の引率をした時もスケジュールの最後がパリだった。
例によって、生徒たちには自由行動を旨としているので心配が絶
えない。最終日とあって、何かがあれば大変である。
その夜、12時を過ぎても一人の生徒がホテルに戻ってこない。
探しようもなく、全員一つの部屋に集まってカード遊びをしながら
待っていると、彼が帰ってきた。彼の説明によると、ホテルの住所
だけはしっかり持っていたのでタクシーに乗れば簡単に戻ってこら
れるものと思っていたのだが、道端で手を上げてもタクシーが止
まってくれない。何度も何度もタクシーに手を上げ続けたそうで
ある。どんどん歩いているうちに、ようやくタクシー乗り場がある
ことに気付いたということだった。こんなに辛(つら)い思いをし
てホテルに戻ったら、みんながカード遊びをしていたのでショック
だったと言いながら、すべてが自己責任だという私の教訓がつくづ
く身にしみたと反省していた。修学旅行における素晴らしい成果だ
と思う。
  歩く歩く……まだ歩く
家内と二人でパリに行った時のこと。家内が呆(あき)れて言う。
「神戸では、ちょっとそこまでという時も、すぐにタクシーに乗
ろうと言う人が、どうしてこんなに歩けるの?」と。
 どうしてなのだろう。パリとニューヨークでは、朝から晩まで歩き
通しになってしまう。一つの理由は、地図が頭に入っているという
ことだが、もう一つは刺激が強いからでもある。退屈しない。どんな
に歩いても、次から次へと興味の湧く何かがある。だから足がどん
どん延びる。
 パリの案内はカルチェラタンから始まる。あそこが従妹(いとこ)
と結婚したYの住んでいたアパートだよと説明しながらカルチェラタ
ンの街を歩き、リュクサンブール公園へと足を延ばす。私はこの公園
の秋か冬が好きだ。秋の紅葉も美しく、寒々とした公園も風情があっ
てよい。多くの大学が近いこともあって、他のシーズンは美しいが人
出が多過ぎる。この公園の中にニューヨークへ寄贈された「自由の女神
の原像がある。公園内をゆっくり散策していると1キロもあろうかと
思うような鉄のボールを投げるペタンクゲームをしている老人のグ
ループに出会ったり、カッコよい制服の警察官にはワイフとのツー
ショット写真をお願いしたりした。
  サンジェルマン・デ・プレ
 ここからサンジェルマン・デ・プレ大通りに向かう。サンジェル
マン・デ・プレ教会は歴史のある教会だが、そのそばにゲイの人た
ちが集まる有名なカフェ・ドゥ・マゴがある。あちらのゲイは、日本
の場合と少し考え方が違うのか、女性っぽい服装やしぐさをしながら、
青いひげそり跡を隠そうともしないので、見た目に違和感がある。
コーヒーを飲みながら彼女?たちを眺めているだけでも楽しい。
この界隈(かいわい)は見るべきものが多くて散策する範囲も広い。
あちこちの路地に足を踏み入れる楽しさは京都に似ていると言えようか。
  モンパルナス
モンパルナスは、私が最初にパリに入った駅でもあるので、パリに
来るたびに来てしまう。駅舎がすっかり建て替えられてしまって
昔の面影がなくなったのが惜しい。駅のすぐそばに何十階だったか
すっかり忘れたが、パリには珍しい高層ビルがあって屋上に上がれ
るようになっている。ビルの屋上には大して頑丈なフェンスもなく
少々危険を感じるが、パリが一望できる点において最高の場所でも
ある。一日で大体これだけ歩いて行動するが、興奮していたのか
疲れを感じなかったものだ。
エッフェル塔などは珍しくもないと言う人もいるだろうが、なんと
言ってもパリの華である。上に登るために1時間も2時間も並ばな
ければならないのは好きじゃないし、展望台からの眺めもすごい!
というほどのものじゃない。それでも、パリに行けば一度は登って
みたいところでもある。私の場合は、エッフェル塔を見下ろす感じ
の広場にしばしたむろして、人々を眺めているのが好きだ。
  セーヌ川クルーズ
セーヌ川の河畔を散策するのもなかなかの風情である。観光船は昼
も夜も出ている。夜は観光船から強烈なライトを周辺に照らしなが
らの航行となる。経験から言うと、観光としては昼間の方がよいし
、夜の方はしっとりしたい時にはよい。数年に1回程度は増水して
クルーズできないこともある。
何度もパリに行きながら、ルーヴル美術館には行ったことがない。
大過ぎるのと、人が多過ぎるだろうと思うからだ。ニューヨーク
メトロポリタン美術館、これでもか、これでもか…という感じ
の展示物を見せられて辟易(へきえき)したことがある。金にもの
を言わせて世界中からかき集めた感じが好きではなかった。ルーヴル
も同じだろうと思ってしまう。
その点、オルセー美術館は手ごろな感じがよい。元は駅舎&ホテル
だったこの美術館は、程よい広さの中に、モネ、マネ、ルノアール
ドガセザンヌなど私の好きな印象派の作品が多くて大好きだ。
この美術館の入り口にあるチケット売り場で、売り子の女性が中か
ら手を出して家内の手を握り「その指輪はどこで買ったの?」と尋
ねたのには驚いた。日本では絶対に考えられない光景でもある。
ついでに書くと、ピカソ美術館では目が回るような感じに襲われ、
早々に外に出た。私は幼児期から右耳が悪く、バランス感覚が悪い
からかもしれないが、あのような作品がずらっと並んでいると、
気分が悪くなってしまう。
 カフェ・フーケ
 パリには、カフェが多い。その中でもシャンゼリゼ通りのフーケは
最も有名かもしれない。映画にも何度も登場している。今では、東京
でも神戸でも「フーケ」があるが、パリとは何の関係もない。カフェは、
カウンターが一番安く、次いで店内の席が安い。最も高いのはテラス
部分の席である。給仕もそれぞれ担当が決まっていて、多くは世襲制
と言ってよいほどである。座る場所によってチップの額も違うことは
知っておきたい。パリの人たちのファッションが洗練されているのは
、カフェの椅子がすべて外を向いており、道路を歩く人々はカフェの
中からじっくり見られているからだといわれる。すなわち道路がステ
ージとなっているのである。人は「見られる」ことで美しくなる。
見られることを意識することで洗練される。まさしくカフェは、人々
を洗練させる場であると言えるだろう。
 モンマルトルの丘
 モンマルトルの丘は写真や映像でたびたび紹介されるが、山の下から
徒歩で登ると一味違った印象を持つだろう。山の上は著名な教会なのに、
山の下は一面歓楽街なのだから。そのギャップを楽しむのが面白い。
丘の上では絵描きが集まり、絵が売られていたりする。しかし、かつて
ユトリロの作品に多く描かれ、俗に「ユトリロの階段」といわれた場所
にはエレベーターがつけられ、昔の面影は一切なくなっていて淋(さび)
しい。
パリのクリスマス
パリには書きたいことがあり過ぎて困ってしまう。シャネル、エルス、イ・ヴィトン、クリスチャン・ディオールイヴ・サンローラン、ニナ・
ッチなどのハイブランドが集まる地域やオペラ座通り界隈なども書き
たいが省略しよう。ちなみに、オペラ座通りには木がないところから、“気がない”ことをオペラ座通りなどと言うしゃれもある。観光
バスで連れ回されるような場所も書くのを省いておこう。
しかし、クリスマスシーズンのパリのことには触れておきたい。
どの店もウインドウが飾り立てられ、ウインドウを見て回るだけで
楽しくなってしまう。この世のものとは思えないほどの気分になっ
てしまう。子供心に戻されてしまう。そんな雰囲気がある。そして
シャンゼリゼ大通りのイルミネーションは絢爛(けんらん)豪華で
延々と続く。多分1994年だったかにシャンゼリゼ大通り全部に
電飾されるようになったと記憶している。あの華やかさは、一度経
験すると忘れることができない。パリのクリスマスはとても賑
(にぎ)やかであり華やかなのに、ローマのクリスマスは、静かで
厳かだった。どちらも印象的であり、1225日という日に、どちらの
都市にも身を置いてみないと分からない感覚でもある。