中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(108)

(108)
 新校舎探し
 
新聞やテレビの報道で、来春はかなりの生徒数が予想されました。
教育を考えるとき、来春も一クラス三十名ほどが最もいいのかも
しれません。でも正直なところ、それでは借金が増える一方になり、
学校が成り立っていきません。
新校舎一年前、校舎探しをしている時、目に止まったビルがありま
した。
それまで不動産の仕事をしていた関係上、これと思う物件が私の目
に止まることはありましたが、なぜか、須磨区の幹線道路に面して
建っているそのビルが気になっていました。五階の汚いビルでした
。もう何年も扉が閉まられたままのビルだったのです。私は、現在
の教室を世話してくれた山田氏に、そのビルの件を話し、交渉して
くれるように依頼しました。
数日して、売ってもいいという返事がもらえました。私は銀行に行き、
来春からの収支予定表を見せて説明し、融資のお願いをしました。
しかし、銀行の方では「現在十八名しか生徒がいないのに、来春100名
以上の新入生が来るということが信じられない。入学者が確定してい
るというのであれば検討をしてもいいのですが……」との返事でした。
当時の取引状態で一億円以上の融資をお願いする方も無茶ですが、銀行
はもっと検討してくれてもいいものだと、その頃は考えていました。
無茶は承知でも、訳の分からない無茶ではなく、それだけの根拠を持っ
てのお願いだったつもりですが、銀行というシステムからは考えられ
ないことだったのでしょう。
来春の生徒募集をより確実に成功させるためには、受け入れようと思
う生徒数に見合う教室の確保が必要だし、その期限は過ぎつつあり
ました。
本来なら十一月のうちに「学校説明会」を開かなければなりません。
また、どんなに遅くても十二月には開きたいと考えていました。
もちろん、生徒募集をしてからその人数に見合った教室が確保できる
のなら、経営上、最も楽なのですが、そのような無責任な方法はとれ
ません。十一月中に教室を確保できないのなら、来春の募集を30名程
度にしなければならないし、かといって、三十名の生徒数ならば、
今年度の三千万円以上の赤字、それもサラ金への多額の借入を抱えて、
経営が行き詰まるのは必至でした。とはいうものの、現在、教室を確
保するための資金は、どこをひねり出しても出てこない状態でした。
目星をつけたビルを購入すると言う計画も、そのような状態の中にあ
る私にとっては、無謀とさえいえる計画だったのかもしれません。
しかし、「為せば成る」という信念は、いつの場合にも、すべてが
プラスの方向に動くという哲学となり、私を支えていました。
わずかの縁を頼って、いくつかの銀行を訪ねましたが、見るも無残
に断られてしまいました。__私は青山社長に銀行を紹介していただ
こうと考え、山田氏に取りなしを依頼しました。青山氏は、韓国系
の銀行の理事をしていらっしゃると聞いていましたので、ワラをも
つかむ思いでお願いしようと思っていたのです。青山氏は、朝銀
庫信用金庫を紹介して下さいました。そして、建設会社に改修の
見積もりをさせ、工場兼住居だったビルを改修する費用まで、同時
に融資して下さるように取り計らって下さったのです。そのうえ、
朝銀と取引きがなくては融資も難しくなるからと、朝銀と取引を開
始するために、五百万円を貸して下さったのです。
まさに「地獄に仏」とはこのことを言うのでしょうか。それにし
ても、山田氏との不思議な縁から、このような展開になるのですか
ら、人の縁は大切にしなければなりません。山田氏の青山社長への
働きかけが蔭にあったことは言うまでもありません。