中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(91)

(91)
高校を創設 
     十五歳の春は過酷
 
「神戸暁星学園高等科」---私が作ったの学校の名前ですがどう
して「暁星(ぎょうせい)とつけたかと言うには理由があります。
「行政」は、どうしてこの子たちを救わないのかと、常日頃、口ぐ
せのように言っていたところから、「行政」をもじって付けたもの
です。そして「暁の星」は、私にとって大きな思い出の星でもあり
ます。住吉公園での野宿生活の日々の中で、寒くて暗くてさびしい
時に夜が明けて輝き始める暁の星は私の希望の星でもあったのです。
この学校の誕生は文字通り「ヒョウタンからコマ」が出たような
ものでした。多くの困難をともないながら、たくさんの人たちの
協力と、奇跡としかいいようのない展開で、困難をくぐり抜けて
でき上が学校でもあります。
私が学校を作り上げたいと考えた伏線については、私のこれまでの
人生をさかのぼって触れねばなりません。そのことは第2章で書く
ことにして、(このブログではすでに書いてきましたが)開校当時、
神戸在中の各中学校校長宛に書いた次の文章から、私の気迫だけは、
読み取っていただけると思います。
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「無業者」と言う言葉は、以前はありませんでした。「落ちこぼれ」
という言葉もなかったのです。これらは、新聞社が作った造語なの
です。中学校卒業後行き場をなくした子供たちを「無業者」と呼ぶ
ようになったのです。このような言葉が出始めた頃から、「十五歳
の春」が問題になってきました。
人の成長にはいろいろな要素や過程が考えられるのに、わが国の学校
制度は、94%程度の生徒しか高校進学を認めておりません。残りの
6%の生徒は切り捨てられる制度となっています。それゆえに、十五
歳までの知的能力だけで、選別されてしまうという現実があります。
自分の希望はほとんど入れられることなく、十五歳時点での知的能力
だけで自分の人生の大切な部分が選別され、決められてしまう悲しさ
です。
「十五歳の春」は「過酷な春」としていろいろに取り沙汰されました。
しかし、同じ「十五歳の春」でも、学制の中で、高校へ進学できた九四
%側の生徒たちに較べて落ちこぼされた6%の生徒たちの大きな心の傷
には社会も、行政も、無関心だったのではないでしょうか。
高校への進学の道が絶たれた六%の側の生徒は、九四%の側の「高校
生」になれなかったのです。(当時の)中学校の一クラス四十五人の
中の、四十四番目と四十五番目の生徒たちが落ちこぼされる側の生徒
だといえるでしょう。
しかし、誰が、何を基準にその序列をつけたのでしょうか。学制ゆえに、
序列をつけざるをえなかった。序列をつけざるを得なかった教師もどれ
だけ苦しい思いをしたかしれません。九十三番目の生徒と、九十五番目
の生徒の差はないのとおなじですから、序列をつけなければならない側
の立場は本当に苦しいと思います。
思いもかけず高校進学を果たせなかった六%側の生徒たちは、就職す
ることもままならず、在宅少年として悶々とした日々を送らざるをえ
なかったのです。
それらの少年たちのなかから、非行に走る少年が出てきます。在宅の日
々をもてあましている少年たちちの非行に、誰もブレーキをかけること
ができず、彼らはやがて、「無業者」という代名詞で、社会面の記事に
されていったのです。
本来、彼らになんの責任もありません。彼らをそのような方向に追い込
んでしまったのは、「大人の側の責任」なのです。
それらの少年に手を差し伸べる教育施設はほとんどありません。「落ち
こぼれ」てしまった彼らが悪いのであって、彼らを救済しない側に責任
はない、というようなことを言う人たちが多いのです。エリート街道を
歩いてきた官僚たちには、これらの少年の心の痛みを理解できないので
しょう。
また、自分が努力して成功をつかんだ人たちのなかにも、これらの少年
の痛みを理解しようとしない人たちがいます。
しかし、彼らは好んで六%の側に回ったわけではありません。六%の側
に入った事情は多種多様なのです。少なくとも、生徒の側、少年の側に
責任がないことは明白な事実なのです。
人生をフルマラソンにたとえるなら、十五歳は四二・一九五キロのど
のあたりを走っていることになるのでしょうか。わずかに十キロくら
いのところでしょうか。スタートした直後につまずいた子どももい
ます。途中でお腹が痛くなって走れなくなった子どももいるでしょう。
走ることより、道端の草花にみとれていた子どももいるでしょう。
川で釣りを楽しむ子どももいるかもしれません。
人生マラソンがタイムを競うレースだと彼らは思っていないのです。
走ることを楽しんでいるのです。タイム(成績)を気にし、走ること
が(勉強)が得意だった生徒は良いタイム(成績)を記録し、十五歳
以後には走りよい道を与えられます。いろんな事情でタイムの遅すぎ
た生徒は、「君には走る道がないよ」と宣告されるのです。
速く走らねばならないことを知らなかったり、走られなかっただけな
のです。速く走る必要性も、本当はないのです。しかし、速く走らな
かったことが罪悪だったように宣言され、そのように宣言する「大人
たち」を彼らは信じられなくなってしまうです。
六%の側に入った途端、すべての責任が少年側にあるかのように見
られ、親をはじめとする大人の側は、ほとんど彼らを理解しようと
しません。少なくとも、積極的に彼らを救済しようとしなかったの
です。
このような生徒たちに「高校進学」の道を与えたくて「「神戸暁星学園
高校)」を設立しました。どうか、ご理解をいただいて本校に生徒を
お送りいただきたく宜しくお願い申し上げます。