中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(40)

東京浅草の開業医を訪れた。
開口一番。ドクターは怒鳴った。
「手紙に殿と書いてくるとは何事だ!!殿とは目下のものに
使うものだということも知らないのか、このバカ者め!」 と。
知らなかった。当時の私は、そんなことも知らなかった。
当時は、誰もが・・・・殿と宛名書きしていてものだった。
 
開口一番、無知をののしられ委縮してしまったが、なんとか
このまま家を貸して下さいとお願いし続けたが、認められず
半年以内の退去することという念書にサインさせられてしまった。
 
ようやく、半年間の目途がついたのもつかの間、なんとか次の場所を
探せねばならないが、養鶏場向けの場所がおいそれとあるものではない。
仕方がないから、土地だけでも借りようと走り回った。
私の育った家の下に(私の育った家は高台にあった)周囲では一番大きな
家があり、農業以外にも事業をやっていた人がいた。その家が、何らかの理由で
解体される時、廃材を運ぶ馬が溝に落ちて死んだとかで、「あそこは呪われた
場所」と、周囲から恐れられていた土地が更地となって空いていた。
 
持ち主を捜すと、ごうつき婆あと言われる高利貸しのお婆さんが持っていた。
あの土地なら借りられるかもしれないと、婆さんに申し出ると、貸してやるという。
腹は決まった。
その土地に鶏舎を建てよう。我々はどこにでも住める。とりあえずは鶏舎の
建設だと考えた。
またも無謀な計画のスタートだった。