中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

今週のお題「捨てたい物」

今週のお題「捨てたい物」

  とても素敵な「お題」なのだが、困ったことがある。

私には捨てたいものが山ほどあるからだ。何について書こうかと選択に迷ってしまう。

 まずは、ウオーキングマシーンについて書きたい。 これを購入したのが何年前だったか忘れてしまったが15年にはなると思う。わたしが、このマシーンの上で歩いたのは延べ時間にして10時間もない。

 主に使っていたのは妻だった。 妻の場合は、私の10倍は歩いていると思う。ちゃちなものではなく、わりとしっかりしたマシーンなのである。 買って三年後ぐらいには「これを売ってしまおう」となんども妻に提案したが、妻が使いたいと言って、そのチャンスを逃がしてきた。

 そのうちに妻も使わなくなり、私は10年前には、とても使える体ではなくなってしまったので見向きもしない。

 このウオーキングマシーンは、私の書斎においてある。西欧では書斎のことをスタディというが、豪州のパースに住んでいた時は、スタディには本棚が立ち並び、多くの書籍が詰まっていた。しかし、ゲームルームという部屋があって、玉突きテーブルが置いてあって、麻雀の自動卓もあり、ダーツもあり、この部屋にパソコンも置いてあった。

 いまのスタデイーには、本棚が二つ(本は約500冊とパース時代の6分の1ほど)が並んでいるほか、机が一つ、その上にはパソコンを置いてあるが、これはもう使っていないから、(これも捨てたいな)。

 とにかく場所をとっているのはウオーキングマシーンなのだ。それが部屋の真ん中にド~ンと居座っているから困ったものだ。重いのと大きいのとで、上げると言っても引きとり手がいない。

 こんなのを「無用の長物」というのだろう。今になって考えれば、最初にもっとこれを使って歩いておけばよかったと思う。車の便利さで歩くことの大切さを忘れ、筋肉が衰えて骨を支えることすらできなくなっていたのだろう。地道に、コツコツと毎日半時間ほどこのマシーンを使って歩いていれば筋肉も鍛えられただろうにと思うが、あとの祭りだ。

 大きなテレビの両脇に細く縦長のスピーカーが立っている。それがあると、とてもカッコよい。ところが私も妻も歳と共に難聴が進み、繊細なクラシック音楽も楽しめなくなった来た。パイオニア製の素敵なスピーカーさえ無用の長物と化してきた。

 ウオーキングマシーンといい、スピーカーといい、それ自体が悪くなったというのではなく、使う側の人間の老化が、良いものも使えなくなってきたというべきだろう。体内だけが老化するのではなく、傍にあるものを利用できなくなってしまうことで、自分の衰えを知る。

 いやはや、歳はとりたぅないもんじゃ。