中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(117)私を守ってくれたのはだれなのか

   《書評の続き》

(著者と生徒との写真掲載)

    「教育インタービュー」

「すべての子供たちの善と可能性を信じて」

 「高校進学を果たせなかった生徒。世間が“落こぼれ”と突き放した子供達を預かって育てたい」と七年前、開校した「神戸暁星学園」。

 現在までに千人を越える生徒を育て,社会に送り出してきた。

 同校の創立者であり、名誉校長の中原武志さんが同校の教育現場から、いかに子供達を育てていったかを示した著書「教育の原点を求めて」が十一月に出版される。中原さんに自らの教育体験を聞いた。

* 学校創立のいきさつは?

 「教育とは何か?という議論が多く交わされますが、現実には従来の学校制度の枠から取り残された子供達がたくさんいます。私自身は学歴とは無関係にさまざまな職業を経て社会では生きてきました。“おちこぼれ”といわれる生徒を育てたいという率直な気持ちからです」

 * どのような指導を?

「 『生徒の善と可能性を信じる』ことだけです。子供達は精神的にもまだ成長途中の部分が多い。いわゆる“わがまま”“やんちゃ”ともいえます。それを押さえつけ、規則だけで縛らずに、彼らを受け止め、少しずつ成長していく彼らを待ってあげるのです。数々の問題や失敗もありました。でも、私達はどんなことがあろうとも、子供達の側に立ち、彼らの言葉を聞きつづけました。生徒を守り信じることで殻に閉じこもった子供達が次第に心を開いていってくれるんです。凍っていた種が溶けて芽を出す様に・・・・。」

* その結果は?

「生徒達を教師がまず理解し、根気強く接した結果が卒業生,在校生に表れています。

数々の実体験を通じて,私は自分の考え方が間違っていなかったと確信しています。

“子供の善を信じる”など甘いことを言っていられないという声もあります。特に教育現場にいる人の中に多い声です。

 教育は子供の持っている個性を充分に伸ばしてあげることだと思います。そのためには、ただ生徒の成長を妨げないように,見守っているだけだといえば非難されるでしょうか。

 私の意見は、学歴偏重主義の方々には決して受け入れられないものでしょう。しかし、親の一方的な押し付けが子供の人生を良くない方向へ変えてしまっている現実を、私は余りにも多く知っています。

 我が子可愛さが、子供の限りない可能性を奪ってしまいかねないように、親は、“なにがしあわせか?”を今一度考えるべきではないでしょうか?」

「教育の原点を求めて」千五百円を購入後希望の方は、あさひグリーンファミリーまで

  日刊スポーツ<書評欄>(本の写真紹介)1991年12月7日

「教育の原点をもとめて」

 題名は堅くて、とっつきにくいが、内容は一気に読んでしまえるほど,迫力に富んでいる。副題に「神戸暁星学園高等科の実践記録」とあるように、著者は同行の創立者で、現在は名誉校長の中原武志氏。

 学習不振や、身体,情緒などの障害で中学校から高校への道を閉ざされた生徒達のための学校を、どういう思いで設立し、どのように運営してきたかが、ほとばしるような情熱で書かれている。

「十五歳の問題児」といわれ,俗に“おちこぼれ”といわれる生徒達を「裁くことなく、善と可能性を信じる」ことで、むしろ生徒によって教師が教育されたことなどを、さまざまな具体例で語っている。

七年前に十八人で出発した同校が、いまでは数百人の在校生をかかえ、今でも数多くの問題を繰り返しながらも、同氏は「送り出した生徒を見てください」と大声で叫んでいる。

    毎日新聞  書評欄  

 (本の写真入で紹介)1992年5月13日

  「教育の原点をもとめて」

(大人の側に問題あり・神戸暁星学園の実践記録)

「高校に進学できなかった子供たちに教育の場を」と1987年に「神戸暁星学園高等科」を設立した著者が、同学園の実践記録を綴った。

同学園は、学校教育法上では「技能教育のための施設」だが、通信高校と連携し高校卒業資格を取得できる。

著者は、高校に進学できない子供たちが「落ちこぼれ」といて選別される現状を問題視。資金難と闘いながら、その救済施設づくりを目指したという。

家庭の事情から高校進学の道を絶たれたが、祖父母の「しつけ」が自立の支えになったと、と自らの体験を紹介。教育とは、子供を変えるのではなく、その成長を支えるのだという教育理念を展開する

「問題のある子供は一人もいない、そのように考えるのは、大人の側に問題があるのだ」と解き、現行の学校教育制度に疑問を投げかけている。

***関連記事

朝日新聞 1992年8月 (生徒の人命救助が紙面を飾った)

「おれは自分に負けていた」(人命救う心に嬉しい就職内定)<明石のツッパリ君>

「事故があったのは4月1日の昼過ぎだった。JR垂水駅で友人を待っていた

俊之君(18歳)はホームの人だかりに何かと思って近づいた。

線路をのぞきこむと、おじいさんが頭から血を流して倒れている。すぐさま飛び降り、ホームに抱え上げた。直後に電車が入ってきた。

脱色した“金髪”耳にはピアスをはめた格好に、二十人ほどいた乗客らは「何でこんな子が・・・・?」という目だった。

千住俊之君(明石市二見町)は幼い頃から、ぜんそくの発作とアトピー性皮膚炎に悩まされていた。入退院の繰り返し、勉強は遅れた。高校もようやく合格したのが神戸にある私立校。点数至上主義の受験教育から弾き飛ばされた生徒や、不登校児を積極的にうけいれている。法的には専修学校と同じだが、通信高校との連携で高校資格が取れる。

学校のアルバイト奨励の方針もあって、俊之君は二0種類ものバイトを経験。自由な校風の中で体力と同時に自信も養った。

そんな俊之君に先月嬉しい知らせが届いた。横浜の大手自動車メーカーからの就職内定通知だ。

「病気や受験で辛い思いをした分、ちょっとは人の気持ちが分かるようになったのかな。あの時も迷わなかった」

いまの俊之君に「自分に負けていた」という以前の面影はない。おじいさんを助けたことにも気負いはない。

「おれは当たり前のことをしただけや。それでかまへんや」

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神戸大学教育学部教授・布川清司氏が神戸暁星学園の学校案内に自主的に寄せてくださった一文

 「アミチスに「愛の手紙」という少年小説があるが、まさにその名は神戸暁星学園に値するのではないか。日本広し、といえども、これほどに本当の教育を実践している学校はそうないのではないか。教育に体罰は必要だと信じて大人は少なくない。この学校は、高校進学の時期に前途を絶たれた子供たちに、チャンスを与えるためにつくられたのだが、世間からは体罰なしにはとても収拾がつかないのではないかと思われてきた。しかしは、創立者は、冷凍された種をとかして発芽させるのは「愛」だけだと信じて、実践し、体罰に訴えなくても立派に教育できることを証明した。

 今年も夏までに、他の高校で理不尽な処分や冷たい仕打ちに絶望した生徒が五人も転校してきたという。「ここは先生が違うから君でも充分やっていけるよ」という神戸暁星学園に通っている友人の言葉に希望を託しながら。

 確かにこの学校は既成の学校とは違う。まず先生方の情熱が違う。教師と子供が「愛」で結ばれている。

 そこで私は自信をもって若い中学生諸君に、特にこれまで学校に満たされなかった諸君に、神戸暁星学園への入学をすすめたい。神戸暁星学園が必ずや君たちのこれまでの不満に応えてくれるであろうことを信じて疑わないから。