《周囲の暖かいまなざし》
二期を迎えたが、一学期にたくさんの問題処理が出来ていたので、予想していたよりも静かなスタートになった。
学校の近くに私が日替わりメニューの昼食を食べることにしていた「喫茶ユーミン」というお店があった。
わたしは酒は好きな方ではない。接待とか慰労とかでなく、私一人で飲みに行くということは、めったにないことだが、その夜、学校の帰りにたまたま一人で「ユーミン」に立ち寄った。
「ユーミン」のママは私が行くたびに、自分の子どもが中学、高校でかなりの問題児で苦労をしたという話をし、今は息子も立派な社会人になっているのだから、生徒たちもきっと立派に育つわよ。だから生徒たちを支えてあげてねと頼むのだった。近隣にこのような支持者がいてくれることが頼もしかった。
その日、彼女はそばに来て
『今夜は、この地域で一番偉い人が来ているから挨拶しておくほうがいいわよ』
とアドバイスしてくれた。
『でも、この席でいきなり挨拶っていうのも変じゃないのかな』
『じゃあ、わたしに任せておいておきなさい』 と言って地域の偉い人のそばに行き、
『神戸暁星学園の理事長さんからあいさつ代わりです』と、ビールを差し出した。
『そんなことをしてもらういわれはないだろう』
と町内会長さんは固辞したが、私が
『いつも生徒たちが、ご迷惑をおかけして申し訳ありません』と深々と頭を下げた。
そこから腹を割ってお話しすることになったのだから、ママの気遣いに感謝った。
会長さんは
『理事長ハン、よくやってますなー。 ワシはナ、子供がぐれるのは寂しいからやと思っているネン。 ワシもれたことあるからな、ようわかる。家におっても、外におっても寂しい思いをするとグレルのヤ。 生徒達の顔を見ておったら、みんないい顔になって来とるよ。こんな短い間にあれだけ生徒が変わるというのは、先生たちが頑張っているという証拠や。ワシの息子も高校の教師をしとるから、事情がよくわかるや』
その会長と手を取り合ってわたしは泣いた。しっかりと生徒たちを観ていてくれていたことに大感激った。
会長は続いてこういった。
『生徒のなかに足の不自由な子どもさんがいるヤロ。あの生徒のカバンを、毎日、登下校の時に持ってやっているグループがいるのを、先生知っとるのか?なかなかできることやない。ワシは毎日見とるけど、感心しとるンヤ」
その夜のことは、公民館に呼ばれてきついお達しを受けから三か月後のことだった。
教師なのに、生徒の可能性を信じられなくなって去っていく人もいる中で、近所の人たちが、生徒たちが日に日に変わっていく様子を見ていてくださっていたことがうれしかった。生徒が助け合う姿をしっかりと見ていてくれていたのだった。この時、「本当にこの学校を作ってよかった」と思ったものだった。
商店会の会長さんが足の不自由な子と言っていたのは、砂子君のことだった。彼の母親は、前年のテレビ報道を見てすぐに学校に相談に来た。あの学校に息子を入学させたいと中学校の教師に言ったが、まだ十八名しか生徒のいない学校に行くことは賛成できないと言われたそうだ。校長とも論争したという。