私と同い年の宝田明さんが亡くなった。
そうか、そうか...と呟いてしまった。
あの宝田さんも逝ってしまったのかと。
実は、宝田さんとは一度もお目にかかったことはありません。
然し、宝田さんがずっとやっておられたミス日本コンテストの司会が、ある年に私が関わることになりました。
前年度の第9回ミス日本コンテストは東大医学部に在籍中の手塚圭子さんがミス日本に輝き、世間から注目されたものです。
翌年はなぜか神戸の六甲荘で開催されました。
第10回ミス日本コンテストです。
私も司会者の一人でした。
ミス日本に選ばれたのは、榎本安江さんでした。
私達が豪州.パースに住んでいた頃に、ミセス日本を選ぶ番組があり、元ミス日本が15人ほど参加していましたが、その時にミセス日本に選ばれたのも榎本安江さんでした。
話をもとに戻しますが、神戸でのコンテストが終わったあと、前年度ミス日本の手塚圭子さんと、本年度ミス日本の榎本安江さんと三人で、元町や三宮センター街を案内したことがあります。
まさに「両手に花」とはこういう感じでしょう。
二人のミス日本を連れて歩くなんて、二度とあることではありません。
その時に、手塚さんから「芸能人になるにはどうすればいいのでしょうか」と質問されました。
私は「あなたは芸能人などにならないほうがよいのでがないでしょうか」と答えておきました。
宝田明さんの死去で、古いことを思い出してしまいました。