中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

コロナ禍で退化する日本語と会話力

 例えば、田舎で暮らしているお爺さんとおばあさんの

二人の場合で考えると、一日でどれほどの会話をするのでしょうか?

「お茶が飲みたいのだが、お前は、なにが飲みたい?」などと

訊くようだといいのだけど「お茶」と言うだけの人もいるでしょう。

そう言う簡単な会話だけだと、大体450ほどの単語しか使って

いないようです。 もう会話とは言えない状況ですよね。

コロナ禍の中で家に籠って暮らす場合、二人だとまだ会話が

成り立つだろうけど、一人じゃ会話もできないし・・どんどん

コミュニケーション力が落ちていくことになります。 それを

補うのはやはり読書なのですが、読書というのは読みなれて

いない人には読みにくい。 なにが読みにくいかというと、

言葉になれていないからでしょうね。 本を読むには、文章を

読んでイマジネーションを膨らませる必要があります。

ところが、普段から簡単な会話しかしていない人たちは、想像

力も落ちています。最近の若い人たちに昔の歌謡曲の歌詞

を読ませても意味が分からないという人が多くなってきている

ようです。歯を磨いた、靴を履いて出かけるなどの具体的な

表現がないとイメージがわかないらしい。 

 日本語というのは、とても若い(歴史が浅い)言語だそうですね。

時代劇ドラマなんかでは、(ドラマだから当然でしょうけど)会話が

成立していますが・・実際には時代劇の時代・・には、まともな会話

などあまり成立していなかったみたいです。

 つまらないことを書いていますが、コロナ禍の時代にあって、スマホ

でニュースをみる、ラインで家族、友達とメールするという生活の中で

は、ほとんど言語の発達はなく、落ちていくだけだろう・・と思われる

のです。 たぶん1000語もあれば十分なほどの、子どもっぽい言語

だけの生活の中で、ご本人たちは意外と満足しているのかもしれ

ません。 司馬遼太郎さんが、月刊・文藝春秋の巻頭文を依頼され

長い間連載されましたが、それが「この国のかたち」という本になって

出版されています。 原稿を書かれるときに、日本のどこの田舎にも

あるだろう(当時は)町長さん、助役さん、収入役さん、駅長さん、郵便

局長さんなどを意識して書かれたそうです。 その人たちの意識から、

日本を変えて行こうとされたのかもしれません。 いずれにせよ・・

「この国のかたち」を読んで、その内容が頭の中にスムーズに入って行き、

頭の中でイメージが膨らんでいく・・・という人は、大丈夫です。 しかし、

なにを書いてあるのやら…と、思われる人は、いまいちど・・日本語という

ものを、最初から学び直さなければならないかもしれません。

 コロナで、お時間はあるでしょうから「この国のかたち」を読んで、ご本人

で国語力を確認してみてくださいね。安い投資ですよ。

  私が思うには、安倍さんだって、今の官僚の多くにも、この本がスムーズに

読めなくなっているのではないかと危惧しているのです。