中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

摂津と播磨の「くにさかい」から考える

 昔は国境なんてなかった。だから、モンゴル、朝鮮、中国

などのアジア各地や南方諸島から何かの縁で日本列島に来て

住み着いた。その人たちが今の日本人のご先祖様なのだろう。

今は遺伝子検査をすればそういうことも直ぐ分る時代になった。

 今日そんなはなしをするために書いているのではない。なんに

でも境目というものがあるものなのだな~ということを書きたい。

 日本本土の浜名湖から日本アルプスを結ぶ線を境に東は「そば」

を、西は「うどん」食す文化らしい。そういえば、畳なども東と

西では大きさが異なる。柱の芯~芯のサイズと、柱の端から端の

サイズの違いだったが、いつも間にか団地サイズというものが出来、

それが東の基準と同じようになっていると聞く。 味噌や雑煮などで

もある線と線を結ぶ辺りから異なるとう。

 それにしても夏目漱石の坊ちゃんが松山の街角で蕎麦屋に入り食した

と書いてあるのだから、西にも東にも、蕎麦屋とはうどん屋がある。

ただ、だし汁の味となればかなりの違いがあって、どちらが美味いと

いうのは好みの問題とだとしかいえない。

 かなり天然の孫娘が神戸の須磨に住んでいて、あるとき、私は瀬戸内海

に住んでいると友達に言って笑われたという。 須磨なら大阪湾だろうって。

ところが・・・須磨寺というのがあるが、須磨寺のところが摂津の国と播磨の

国の境であったというのだから、そういう観点からみれば、あながち笑われる

ほどの間違いではないかもしれない。