中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

死について考える

安楽死、自殺など死にまつわる問題は難しいですね。特に若い人の自殺には社会のすべての人々が目を向けるべきですし、考えるべきだと思っています。なにが自殺に追い込むのか?  周囲がいけないのか、本人に問題があるのか。その辺りが難しい。 私は家庭環境も原因の内にあると思っています。3世代が同居いていた時代には少年少女の自殺は少なかったのでは・・と思うのです(根拠はありません)
親に、産んでくれてありがとう、大事に育ててくれてありがとう・・と書き残して自殺するなどと言うのは、とても考えられない・・のですが・・あるようですね。直ぐにいじめが原因だと言いますが、いじめなど、どの世界にもあることで、いじめのない世界なんてありえません。いじめてきた少年が半分、いじめられてきた少年が半分という高校を作ったとき、だれもが「そんな学校は成り立たないよ」と助言してくれたものでしたが、私は「校則」という縛りを一切作らず、校則を作ってほしいという教師たちに、
教師が変わることで校則が有らなくなるはずだ・・と、言い続けました。 当時の神戸大学教育学部の教授から「ぜひ入学案内に一文を書かせてほしい」という申し出があり、彼は「こんな凄い学校が世界のどこにあるだろうか」と一文を寄せてくださいました。なにを言いたいのか・・いじめが原因などと騒ぐ人たちは、その時点で自分が多くの子供たちを差別しているということです。

 いじめなどと言うものは、人間の性ともいうべきもので、世界の隅々のどこにもあるものです。それに耐えられない・・というか、耐えようとしないと生きては行けません。 両親もなく兄弟もなく、金もなく、保証人もいない中で、その日を生きるために、雨と夜露を防いで、なんとか食べものにありつけるために必死に生きたものでした。 親の家に住んで、食べさせてもらって、暖かい布団にくるまっていられる環境で、いじめられたからと言って死を選ぶなどと言うのはとんでもないことです。命はリセットできません。若い人たちは人生をゲームと間違えてはいけません。ゲームなら簡単にリセットできますが、命はとんでもないほどの奇跡の連続でやっと得られたものなのです。その奇跡を自分で終わらせるなんて、やめましょう。85歳以上になって、周囲に迷惑を掛けるかもと言う頃には、自分で命を終わらせる権利があるようには思ってますが、それでも今の社会はダメだというでしょうね。 いんげんも動物です。動物たちは高齢になり死が近づいてくると・・どこかに消えてしまいます。人間もそうあってもいいかなとおもう。いつまでも周囲に囲われ、迷惑を掛けながら生きるのは、それなりに問題があるだろう。自分のことが自分でできなくなったとき、自分の命を自分で終わらせる権利と言うものがあってもいいのかなって・・思う。