心がなえる時がある。 萎えるという文字のようになえてしまう。
そうかと思えが、いつのまにか、萎えた植物が十分に水を吸い上げた
ようにしゃんとして強くなっている。 何も感じなくほどに、聴こえない
ほどになえたときと、心にビンビン響いてくるときと、人間とは微妙な
ものだ。 感動で心がふるえるかと思えば、無常観のなかに沈む
こともある。 かといって一喜一憂などはしない。 なにもかも自然の
ままに身をさらしているのがいい。 水に浮いているに漂っている
ように、自然がいい。
もうすぐ85歳になるという爺が書いている文章だと思って読んで
くれなければ、なんと覇気のないことをとおもわれそうだ。
若いころは、萎えてなどいては、そのまま枯れてしまっていただろう。
萎えそうでも、無理にでも走しらなければならなかったな~~などと
回顧しながら書いている。