中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

野球好き(1)孤独はないよ

 野球のことを書きすぎるって思われているかもしれませんが・・それも仕方がない。
なぜならば、わたしは日本プロ野球と共に生きてきたのだからね。
読売巨人軍が誕生したと私が生まれたのが同じ1934年なのです。
タイガースは1935年に誕生。日本のプロ野球がリーグ戦となってスタートしたのは
1937年なのだ。
 因みに、東京の地下鉄の上野ー浅草が開業したのが1927年であり、大阪の
地下鉄の梅田ー天王寺が開通したのは1933年だった。大阪の地下鉄の梅田ー
天王寺間は当時のままの駅舎が今もそのまま使われているが、日本一の駅舎と
言って差し支えない。大阪に来られたら、ぜひとも梅田ー天王寺の地下鉄に乗って
駅舎めぐりを楽しんでもらいたい。
 話がそれました・・・。
野球の話でした。  サッカーも小柳ルミ子さんほどではありませんが好きなのですよ。
淡路島の農家でしたが、祖父も祖母も新聞が読めたので(当時では珍しい?)新聞を
購読していました。ですから、プロ野球の情報も新聞を通じて(小さな記事でしたけど)
知るようになりました。
 中学校の当時、私がいた学校はまずまずの強さでした。投手は井出君でした。学校の
直ぐ傍に彼の家があり、なんだかエースの家を見ただけで喜びがあったものでした。
三校訪問マラソンと言うのが2年生の時に始まって、気管支の弱い私は1キロほどで
ひーひーと呼吸ができなくなる苦痛を味わったので、教師にお願いして文化部を作って
もらい学校新聞らしきものを作ったりしていました。(その教師は、後に神港新聞の記者に
なり、時折私の書いたものを読んでいただいておりました。原稿用紙100枚程度の
「希望への道」と言うタイトルで書いたものに<下手くそだ>と酷評されたのが昨日の
ことのように思い出します。68年前のことです。
 新聞記者と称して、野球部の遠征試合(といっても、自転車で30分程度の)について
いき、スコアブックをつけていたものです。スコアブックをつけるようになって、野球の
面白さにのめり込んだ気がいたします。